そもそも「スランプ」とは何なのか

人間というものは、往々にしてスランプに陥ります。
何の前触れもなく、または何か事件があって、今まで得意だったことが突然できなくなり、そこからなかなか抜け出せなくなるんです。

とりわけ「絵師」は、他の趣味と比べても格段にスランプの猛威にはさらされやすいといえます。
上手な人達と自分を比べる機会が比較的多く、かつスランプからの脱出方法として一般に広く知られている方法論がそもそも間違っているからです。

個人的な試算によると、趣味で絵を描きはじめた人の90%以上は3ヶ月以内にやめてしまい、2年以上続く人は1%未満しかいません。
さらに成長中に何度も襲い来るスランプを全て跳ね除け、無事に上級の領域に到達できる人の割合は0.2%であり、プロとしてデビューする人の割合に至ってはは実に0.0004%しかいないという計算になりました。
(日本人の10人に1人が「描けるようになりたい」と一生のうちに1度は思うという仮定のもと)

そのほとんどは、やめてしまう理由はたいがい「スランプ」がきっかけです。
ここでは上級の領域に到達することを「描けるようになった状態」と定義し(やる気のある人がみんなプロを目指すわけじゃないので)、かつ他に魅力的な趣味を見つけて卒業していく人も50人に1人くらいはいるとしても、スランプというものは実に「100 - 0.2 - 2 = 97.8%」もの人達を地獄に叩き落すことになります。

また、この97.8%の中には、十分な実力がまだ身についておらず、しかもかつては上級者になることを夢見ていたはずなのに、十人並の段階で作風を固定させて成長を止めてしまう人(いわゆる「悟りを開いた人」)も含まれています。
この人達が中途半端に悟りを開いてしまうのも、だいたい「スランプ」がきっかけです。

だとすると、そんなにも人を苦しめる「スランプ」とは何なのか。
どうすれば脱出できるのか。
今回はそういう話です。

なお今回は、「スランプからの脱出は、一般に言われてるよりはるかに難しい」という内容になります。
当コラムは、「読者はあらゆるスランプを確実に脱出したいと思ってる」という前提で書いていますが、そうでない人が世の中にいることは否定しませんし、そういう人は今回のコラムは別に読まなくてもいいかもしれません。

1. そもそも「スランプ」とは何なのか

イラストスキルに限らず、人間が何らかの新しいスキルを習得しようとするとき、その成長曲線は必ず似たような形になる、という実験があります。
コンピューターのことを何も知らない学生を集め、彼らに「ラインエディタ」と呼ばれる特殊なソフトウェアの使い方を覚えさせるミッションを与え、そのタイピング速度をグラフにしてみたところ、その成長曲線は訓練時間とは絶対に正比例にならず、必ず「階段状」になることが分かった、というものです。

またコンピューターの使い方に限らず、スポーツなどの他の訓練も、少なくとも「階段状になる」という点だけは必ず一緒だったそうです。
つまりスキルというのはもともと「伸びやすい時期」と「伸びにくい時期」とがあって、それはそういうものだからどうしようもないということです。

で。
なぜ人間の成長曲線は必ず階段状になるのか。そこがキモです。
別に本人は一生懸命やってるだけなんだから、青い線のように訓練時間に比例して上達してもよさそうなものですが、絶対にそうはならない理由はなんでしょうか。

それを調べるために、「伸びにくい時期」にいる生徒の行動を調べてみたところ、その直前に必ず、何らかの「新しい知識」を習得していることが分かりました。
たとえば、習得した新しい方法(カーソルの上下移動には矢印キーを使うよりも行番号を数字で入力した方が早い、など)を試そうと試行錯誤するものの、手がうっかり以前のやり方で動いてしまってタイピング速度が落ちていた、とかです。
言うなれば、知識として頭で覚えてから、手が新しい知識になじむまでの落差が「伸びにくい時期」の正体です。

しかもややこしいことに、たまに新しいやり方に変えようと試行錯誤していることを、自分自身が意識していないことすらあったのです。
なんかキーが打ちにくいなぁと思ったら、昨日まで「し」を「SHI」と打っていたのに、今日になって急に「SI」に無意識に変えてた、なんてことは現実にもあることです。
頭ではその方がタイプが早いことを無意識に感じているものの、手がそれについてきてない、という感じでしょうか。

美術の場合、そもそも「美」とは感覚的なものなわけですから、この「無意識の試行錯誤」は格段に多くなります。
より細かな指使いをするため、無意識に今までよりも鉛筆の先を持っていた、といったことも特に普通にありえるわけです。

鉛筆の持ち方を変えれば描きづらくなるのは当然のことですが、でもやってる本人はあくまで「無意識」なので、自分が鉛筆の持ち方を変えていることに気づきません。
意識的には「昨日までと同じように描けるはず」と思っていて、だから描けない理由などないはずなのに、なぜか描けないと感じるのです。

それが世に言うスランプです。


厄介なケースは、ストレスの一部で、直前に起きたネガティブな出来事としばし結び付けられてしまった場合です。

まとめサイトに定期的に登場する割と有名なイラストで、「絵上手い人はこれ見て感動するらしい」なるものがあります。
ほんの数ページ程度のマンガなんですが、

1. 女の子がコンクールで金賞を取った翌日から、突然絵が描けなくなる
2. 凄く悩むんだけど、顔のない人物が「君ならできるよ」と頭を撫でてくれる

という内容のものです。
このマンガでは、主人公の女の子がスランプになる理由は語られていないのですが、「コンクールに入賞したことによるプレッシャー」が原因であると暗示されています。
その例に限らず、「1作目がウケがよくてプレッシャーを感じて」「親と喧嘩して趣味を否定されて」とか、ネガティブな事件があって、それがきっかけで描けなくなったと感じている人は多いです。

たしかに、「次はもっと巧く描かないと」という意識が強くなりすぎるケースや、誰かに趣味を否定されたことがきっかけて無意識のうちに自分で自分の否定し始めてしまう、なんてことはありえるんですけど、上記で示したマンガと同じ状況の場合はありえません。

このマンガにはだいたい「なんのこっちゃ」というコメントがついているのですが、これは主人公の女の子の悩み方が「ありえない」からです。
コンクールに入賞したことによって次を期待しているのは「自分」ですから、自分自身の期待がプレッシャーになって描くことすらできなくなるなど、普通に考えたらありえないのです。

この女の子が描けなくなった本当の理由は、コンクールで金賞をとるという経験をしたことによって、コンクールで入賞するレベルの絵を描くコツという新しい知識を得たからです。
でも、そんな「コツ」なんて感覚的なものを、すんなり理解できるわけがありません。

自分でも理解できていないことを無理に実践しようとすれば、一度はできたことであっても、ちゃんと理解していなければ「なぜかできない」のは当たり前というわけです。

2. スランプからの脱出方法

上記の例の女の子の場合、スランプから脱出するにはどうすればいいでしょうか。
普通に考えたら、「気晴らしする」ってことになるんじゃないかと思います。
(他にも「とにかく描きまくる」といった方法もよく聞きますが、これは好きな絵を雑多にラクガキしているだけなので気晴らしと変わりません)

でも、本当にそれでいいんでしょうかね。

半分パニック状態でめちゃくちゃ考えまくって分からなかったことが、気晴らししようとした瞬間に突然理解できた、なんてことはよくあるので、もしかしたら何かのきっかけで「コツを自分のものにするコツ」も何かひらめくかもしれません。
そういった意味で、気晴らしはスランプを脱出する方法論の1つとしては無意味ではありません。

でも「一息ついた瞬間にひらめく」って割と確率論的なことだし、必ず起こることじゃないんですよね。
通常多くの場合は、気晴らしすることで、せっかく得た「入賞レベルの絵を描くコツ」を忘れてしまうことによって、「以前の感覚」が戻ってくるだけです。
その場合、女の子に戻ってくるは入賞などとてもできない、低レベルな実力だけということになります。

それって凄くもったいないですよね。
せっかく1度は入賞できたのに。

もちろん女の子の周囲の友達や親は、女の子が苦しむ姿など見たくないですから、「気晴らしでもしたら」と言うと思います。
それが周囲の人達の優しさです。
でも実際には、その優しさは本人のためには全然なってないわけです。

本当は女の子は、なぜ自分が「入賞レベルの絵を描けた」のかを必死で考えるべきなのです。
たとえまぐれでも「一度は描けた」ということは、周囲の人や資料などから何らかのヒントを得ているはずで、探せばそれは絶対に見つかるはずなんです。
しかも彼女の場合は「記憶が頭の中にある」うちにもう1度探さないと、時間がたってからでは探せなくなる可能性があります。

とりわけ、入賞の翌日にはもう「あれ、描けない」と感じるほどのミラクルヒットだったわけですから、タイムリミットはいいとこ3日でしょう。
自分の絵について評価してくれた全ての人の言葉、直近数ヶ月以内に学んだ全ての資料、最近見た全ての絵、描いた絵を全部思い出して、「次はまぐれでなく実力で描ける」ようにならないと、残るのは「まぐれで入賞した」という経歴だけです。
ぶっちゃけ泣いてる暇どころか、ご飯を食べる暇も寝る暇もないかもしれません。

まぁ、現実にはこの女の子のようなミラクルヒットなんてほとんどないので、そんな切羽詰まってスランプを脱出しないとヤバい、みたいなことはあんまりありません。
通常多くの人は「いつも通りに描いていて何気なく」スランプに入ります。

そういう「まぐれ要素」がない普通のスランプの場合は、時間をかけても大丈夫なことが多いです。
俺は立体感覚というものが分からなくてスランプ期が10年続き、一時は一生無理かとも思いましたが、ルーミス本を読んだらちゃんと脱出できました。

とはいえ、スランプというものは入った理由が分からないと脱出もできないのは基本的なことです。
当コラムの読者は「本気で真面目に絵が上手になりたい」と思っているはずで、そう思っている以上は、このことは心得ておくべきです。
あなたはその辺のにわか連中とは目指すレベルが違う人なので、「以前の感覚」になんか戻っていいはずがありません。

ですが1つだけ安心していいのは、スランプに入ったからには、そのきっかけは必ず身近にあるし、ないとおかしいということです。
だって、知識として頭で覚えてから、手が新しい知識になじむまでの落差がスランプの正体なわけだから、スランプ期に入った理由が自分自身の頭の中にないとスランプに入るわけがありません。
だから理由は探せば絶対見つかります。

マンガの中で入賞した女の子をなぐさめた人物は、無責任な楽観論で微笑みかけるべきではありませんでした。
上記のような、スランプとは何か、どうしたら脱出しできるのかをちゃんと説明したうえで、「だいじょうぶ、君はきっとできるよ。」と言えば、とっても説得力があったはずです。
そうすれば、脱出できないスランプなんて理論上ありえないことまで、ちゃんと女の子に伝わったはずです。

まぁ、マンガがもしそういう会話運びだったら、ストーリーとしては面白くありませんでしたけどねwww

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