異様にレベルアップ早いヤツなんなの?

絵のレベルアップが異様に早い人がいます。
そういう人は周囲から一目置かれながらも、「素質キラー」だとか「才能つぶし」とか言われたりします。
周囲の人が、「あいつみたいに巧くは描けないから」ってみんなあきらめてしまうからです。

俺としては、「人より巧く描けない」ことがあきらめる理由になるのなら、早めに脱落できてよかったじゃんって思いますけどね。
プロになったら周りはみんな神がかった絵を描く連中ばっかなんですから、どうせあきらめるなら早めにあきらめておいた方が時間を無駄にせずに済みます。
とはいえ脱落したくない人達にとっても、素質キラーの連中がどういう思考回路をしてるのかは、「よく分からなくて気持ち悪い」という印象があるんじゃないかと思います。
もしくはできるものなら真似したい、というのも心情でしょう。

言ってしまうと、初心者の段階からパッと見いい絵を描く奴らは、ようするに注目されやすい絵を狙って描いてるんです。
「このように描けば注目されやすいはず」というデータがすでに頭の中にあって、それに基づいて絵を描いているから、下手ながらも目を引く絵が描けたり、知らないはずの高等テクニックに自力でたどり着いたりするわけです。

そういった「どうすれば人の注目が得られるか」を考えるにはどうしたらいいかってぇと、言葉にすれば至極単純なんです。
いわゆる共感力と呼ばれる力を鍛えればいいんです。

そこを何とかすることで、自分の絵の欠点を客観的に探したり自分自身の課題を自分で見つけ出したりし、結果、高い評価を得やすい絵を狙って描けるようになります。
逆にこの能力が低いと、自分の絵の評価を自分ではできないし、極端な場合は「絵の先生が何を言ってるのか」も理解できません。

今回はその訓練法を説明します。

1. そもそも共感力とは何か

共感力とは、読んで字の如く、身の回りの人々と気持ちを共有する力のことです。
周囲の人達の気持ちを察したり、場の空気を読んだり、それにより自分を客観的に観察したり、といった使い方をします。

ただしこの共感力というやつは、「そもそもできっこない」と思ってる人が非常に多い能力でもあります。
たとえば人目ばかり気にして何もできない人、「どいつもこいつも分かってくれない」といつも思ってる人、「人は人・自分は自分」とあまりにも割り切りすぎている人、ちょっと注意されただけで過剰反応して何でも抱え込んでふさぎ込む人。
こうした人達は、人間関係に問題が生じる原因が、周囲の人達(もしくは自分)の性格が原因と捉える傾向があります。

ですが違います。
周囲の人達の気持ちをうまく察せてないことが、人間関係に問題が起こる原因です。

なんで人の気持ちを察せないのかというと、「人の気持ちを読むなんて物理的に不可能だ」と考えるからです。
この共感力という能力は、いわゆる「コミュ力」と呼ばれるスキルのサブスキルの1つですから、あきらめなくていいものを1人で勝手にあきらめてる人は非常に多いわけです。
(それから、「コミュ力が低いのはお互い様なのだから、自分だけが苦労しなきゃいけないのは嫌だ」と訓練から逃げる人もいます。そういう考え方の人は、だいたいコミュニティ内でのコミュ力が1人だけダントツに低かったりします)

ぶっちゃけて言うと共感力とは、自分がこうすれば、相手はこう反応する「だろう」という予想をする力のことです。

予想をする力ですから、人の気持ちをテレパシーで読み取る必要はありません。
幽体離脱能力もいらないし、スーパーサイヤ人やニュータイプに目覚める必要もありません。脳にF端子を刺さなくても、悪魔に転生して赤龍帝を襲名しなくてもいいんです。
そんなことしなくても、「あのとき自分がこうしたら、相手はこういう反応をした。だから今回もだろう」と予想をすることはできます。

自分に対する周囲のリアクションを、過去の経験に基づいて予想する力のことを共感力といいます。
そしてその的中率が高く、日常生活や仕事の様々な局面で幅広く応用できている状態を共感力が高い状態です。
逆に、予想はできていても外すことが多かったり、予想すること自体できない状態が共感力が低いということです。

日本人はこういった分野のことを理屈で考えるのが嫌いで、よく「気合いで何とかするしかない」という結論にもっていきたがりますが、例によって気合いではどうしようもないです。
共感力とは、「知ってればできるし、知らなければできない」人生テクニックに類することです。

2. 共感力を鍛えると絵が上手になる仕組み

なんで共感力を鍛えるといいかというと、シンプルに「他人の感想を推測しながら絵が描けるようになる」からです。

「もしこの絵を誰かに見せたら、その人はどんな感想をくれるだろう」と想像し、その人の気持ちになって自分の絵を見ることができるようになります。
だから、本来であれば何回も描きなおしや再提出が必要なはずの絵を、1~2回の手直しで描けるようになります。
人に聞かなくても他人からの感想を推測することができるようになるし、それによって現在の課題を自分1人で拾うことができるようになります。
限界はあるにしても、先生におんぶ抱っこの状態と比べれば雲泥の差です。

また美術以外の面でも、先生・親・上司から受けるかもしれない注意点を先回りして潰して良い評価を得たり、本当にセンスのいいオシャレができるようになったりします。
ようするに「器用な生き方をしてる人」がやってるようなことが、自分にもできるようになります。

共感力を鍛えれば、ありのままの自分を自然に出していけるようになるというわけです。
逆に言えば、ありのままで生きるには共感力が高い必要があり、共感力が低いのにありのままだと周りからはただのアホにしか見えないわけですが……。

3. 共感力の鍛え方

この能力の鍛え方としては、一般的な自己啓発本とかだと、ざっくり「がんばる」だとか「自分を好きになる」といったオブラート言葉に包んでありますが、もちろん単に気持ちだけあったってダメです。特に宇宙的なものと繋がっちゃったりするとかもってのほかで、そんなことしても絵は上手になりません。
人から自分がどう見られているかを知る努力をすることが大事です。
(それはときとして、「自分は周囲からの評判が実は凄く悪いんじゃないだろうか」という恐怖と戦うということでもあります。でも人気絵師になりたいなら、そこは乗り越えていただくしかありません。それか不人気な絵師になるか。がんばるかあきらめるか、選択肢は2つです)

具体的な訓練方法は、自分の見方を変えるのが第1歩ですから、やはり「鏡を見る練習」がもっともハードルが低いでしょう。
まず鏡の前に立ち、斜め上でも見てしばらくボーッとしながら、「これはテレビだ、これはテレビだ」と考えます。
で、テレビを見ているつもりでパッと鏡を見て、そのテレビの中に映った他人の顔を評価してみます。
「うだつのあがらねぇオッサンだな」とか「以外に悪くない顔だな」とか「裏で悪いことしてそうだな」等、自分の性格とは一致しない印象を受ければ成功です。
もしあなたが過去にそういうことを全くしたことがなければ、見慣れたはずの自分の顔にすら色んな発見があるはずです。
(ただし、実はこの鏡を見る練習は言うほど簡単ではありません。人間の脳は自分の顔を本能的に他人と区別する仕組みが備わっているためです。とはいえその仕組みは疲れているときは狂いやすいので、疲労困憊しているときは「あれ? こいつ誰? ああ、俺の顔か」ってなりやすいです。そういうときに自分の顔をよく見てみてください)

また、自分が描いたイラストについて「人に説明する」機会を設けるのも有用です。
他人に分かりやすく説明するためには、説明する相手のことをきちんと知った上ででなければ絶対にできません。
そもそもイラストというものが「何かを他人に分かりやすく説明するために描くもの」ですから、説明能力が高いことは絵師として必須条件なんです。

具体的な訓練方法は、ラクガキをした際に「なぜこの絵を描いたのか」という説明を考えることです。
ラクガキを描いた理由なんか、普通は「そんなんどうだっていいじゃん」で終わってしまうところですが、そこをあえて説明することで自分がどういう人間なのかを観察しやすくなります。

通常多くの場合、ただのラクガキは「描きたかったから描いた」くらいしかないと思います。
ですが実際には「なぜ描きたいと感じたのか」「なぜこの絵柄だったのか」という部分で、何か思ったところが必ずあるはずです。

俺個人の場合、絵を描きたくなるきっかけはいくつかあるのですが、よくあるのは「ジョークを思いついたとき、それをより面白くするためには、絵を見せるのが手っ取り早いと感じたから」です。
1時間くらいでパパッと描いてツイッターにアップする系統のイラストは、このパターンが多いです。

以下のイラストは、いつだったかツイッターにアップしたものです。
左に有能サラリーマン、右に巫女さんの絵が描かれています。

このイラストを思いついたのは仕事中で、近くの席の人が「見込み顧客」という言葉をたまたま使ったときでした。

それを耳にした際、俺の頭の中で言葉が「みこみこきゃく」とひらがなで脳内再生されたため、「言葉尻かわいいよなー」と思ったのです。
で、「みこみこきゃく」という言葉がかわいいことを人に分かってもらうためには、かわいい巫女さんの絵を添えるのがよいという結論に至ったわけです。
かつ「かわいい巫女さん」をよりかわいく見せるために、対比として「厳しい顔をしたサラリーマン」を描いた感じです。
完成品を見ればただの無意味なラクガキですが、描くまでの間に上記のようなことを足かけ1時間くらい推敲しています。

プロの中にも「この絵のテーマは何ですか?」と聞かれて、「社会に対する不満や情緒といったものを、メランコリックかつ情熱的に表現しました」なんて難しいことを言う画家がいますが、ああいうのも全然ダメです。
あれは難しいことを言って質問者をけむに巻いているだけです。
そういう下らないことを言うくらいだったら、小学生男子の「うんこ描くの楽しいじゃん! なんでいけないの?」という回答の方がまだ理解できます。

そうじゃなくて説明とは、「理解してもらうこと」ですから、相手が理解できないことを言ってはいけません
絵も一緒で、見せる相手が理解できない絵を描いてはいけません

そのためには、どこまで詳しく言えば(描けば)相手は理解してくれるかが、あらかじめ分かっている必要があります。
それには「自分が理解していること」「自分がまだ理解していないこと」「相手が理解していること」「相手が理解していないこと」の4つを全て把握することが必須ですから、そのために自分を理解する相手と意識を共有するといった能力が必要になってくるわけです。

ですが人間は(特に日本人は)自分程度の人間が知っていることは、よそ様は重々ご承知のはずというアホな謙虚心を持っていることがけっこう(というか、かなり)多く、常日頃からそういう前提でしゃべってしまっている人は多いです。
和を重んじる傾向があまりにも高すぎて「言わなくても分かるでしょ?」という意識がどうしても変えられない人も結構いて、言ってしまってから「なんで知らないんだよ、それくらい知ってろよ」ってなることは多いです。
それだけでなく、言った側が「それくらい知ってろよ」と思っているその内容自体が、本来相手が知らなくて当然のことだったり、ただの勘違い・思い込みであったり、あと「言ったはずだ・ちゃんと伝わったはずだ」と思い込んでるだけというパターンもあります。

それからもう1つ、常日頃から「あ、この表現の仕方(言い方、描き方)では通じないんだな」と思うクセをつけるのも重要です。
何か言葉やイラストで説明をしようとしたとき、相手が「え?」とキョトンとした場合に、共感力の低い人は「あ、こいつバカだわ」と思って説明を中断する傾向があります。
そうではなく、絵の意味や言葉の意味が通じなかったら、それは全部自分の表現が悪かったからだと考えるようにすることが、絵師としてとても大切です。(たとえ実際には本当に相手がバカだったからだとしても)
「通じなかった表現方法は2度と使わない」ことを繰り返すことで、1つずつ周囲を理解できるようになっていくのです。



共感力とは、「自分がこのように行動すれば(表現すれば)、相手はこう感じるだろう」と予想する能力のことです。
ですから最初のうちはどうしても、自分的には多分、こう描けばいいんじゃないかなと思うという想定でやることになります。
過去の経験が役立つなら役立てればいいですが、そういうのが何もないなら、想定が当たるまで何度でもトライし続けるしかありません。

「巧く描けない」ことがあきらめる理由になるのなら早めに脱落しておいた方がよい、というのそういうことです。
美術経験の足りない人がよい評価を得るには、まぐれ以外は絶対にありえないというわけです。(まぐれを引き寄せるのも能力のうちではあるものの、基本的にはってこと)

これはちょうど、当たりを引くまでくじを引き続ける行為によく似ています。
この「当たりを引くまでくじを引き続ける」ことを卑怯と称する人も中にはいますが、そもそもそうするしかないのだからどうしようもないんです。

その意味では、上手になるにはあきらめないことが一番大事という身も蓋もない話が、実は一番真理に近いということでもあります。

絵師の4つの成長段階について

多くの初心者はもちろん「楽しいから絵を描く」ものだし、それは描き手にとって基本的かつ一番重要なことです。
描くことを楽しむことができない人が、絵を描くことはできません。

でも、だからといってただ楽しんでいるだけでは、いつまでたっても他人から評価される絵は描けません。
初心者は「自分が描きたい物を絵にしている」と自分では思っていても、実際には描きたいと感じたもののうち、自分の表現力の範囲で表現できるものを描いているにすぎないからです。
それが必ずしも他人から見て理解できるとはかぎらないし、むしろ理解できないことの方が多いです。

ですから、他人から評価を得るためには、段階に応じて勉強する内容を徐々に変えていかなければいけません。
というわけで今回は、絵師としてプロに近づいていくための成長プロセスの話。

1. 自分が楽しく描く段階

どんな趣味でもそうですが、新しくスキルを覚え始めた人には「自分が楽しむ」という段階が必要です。
この段階がなかった人は、成長はいつか必ず打ち止めになります。
楽しむことは何より大事なことです。

この段階の人は、基礎練習をしっかりやることが大事です。
テクニックとか理論とか、そういう小難しいことは別にどうでもいいんで、基礎練習をとにかく楽しんでこなすこと。

世の中どんなスキルでも、基礎練習は基本的につらいものです。
だから楽しいと感じなければ、何年にもわたる大変な練習には耐えられないのです。

2. 人に分かるように描く段階

自分が楽しく描く段階をクリアして「人からの評価が欲しい」と思った人が最初にぶつかる壁が、「そもそも分かってもらえない」「理解してくれない」というジレンマです。
見せても「ふーん」で終わっちゃう。
ともすれば絵の趣味自体を否定されてしまう。

これを乗り越えるためには、「分かってもらうには、分かってもらえるように描かないといけない」というシンプルな事実に気づく必要があります。
普通の人は、描きたいものを描きたいように描いただけの絵は理解してくれないのです。
ですので、自分が何を創作しているのか「人にも分かるように描く」ことを覚え、最終的には自分の創作物が素晴らしい物であることをアピールし、理解してもらう。

そのためには気合いでがんばるだけではダメで、どう描けば分かってもらえるのかという知識の吸収も必要です。
自分が楽しければそれでよかった頃はただ描けばよかったのが、このあたりから「勉強しないと練習だけではどうにも無理」という状況になります。

なので「分かりやすい表現」「分かってもらえる表現」「正しい表現」、もしくはそもそも「分かってもらうとはどういうことか」といったことを学びます。
こういったことを学ぶには、教則本を読む、美術部に入ってる、美術教室やサークルに入る、美術系の学校に進学、といった方法が考えられます。

ただし、「教えてもらう」ことは人に聞くか本を読むかすればいいので簡単ですが、その教えてもらったことを「自分が理解する」のは全然別問題です。
美術知識はただ「知っている」だけでは全然意味がなく、その知識に基づいて手が動き、心が感じることも必要です。
ですから、覚えたことは逐一全て一度は実践してみる必要があります。

若い人の中には、「美大に入れば、自分が知りたいことを何でも的確に教えてもらえる」と思ってる人もいますが、違います。
美大は「美術にどっぷりハマれる場」を提供してくれるだけで、勉強自体は自分でやんないといけないのです。

大学生以上の絵の先輩がいる人は、先輩が絵の本を1度に1万円分とか爆買いしてるところを見たことがある人もいるかもしれません。
あれは、そういう勉強の仕方をしなければ、自分が学びたいことを効率的に学べないからです。

なお一般に、周囲に「美術に理解のある大人」がいる場合、この「人に分かるように描く」という段階には小学生のうちに至ります。
そういう人はうらやましいかぎりですが、そうでない人はこの段階に達するのが遅れる傾向があり、多くは高校・大学に入ってからということが多いです。

または自分で気づかないかぎり一生至れない人もいて、俺はそういうタイプでした。(一般に「絵のセンスがない人」とは、こういうタイプの人のことを指すことが多いです)
俺の場合は、今にして思えば「理解者」に相当する人は周りにいっぱいいたのですが、その人達が評価をくれない理由が「人から見て分かるように自分が描いてないから」ということに、子供のうちには気づくことができませんでした。

そういうケースもありますので、なぜか振り向いてもらえない系の人は、自分がそういうタイプでないかを考えた方がいいでしょう。

3. 人から喜ばれるように描く段階

自分が表現したいものを巧く表現できるようになった人が、次に抱える悩みが「見てはくれるんだけど『ああ、上手だねー』で終わっちゃう」というジレンマ。
もっと褒められたい、もっと称賛が欲しい、と思うのであれば、見る人を喜ばすように描かなければならず、それは単に分かってもらうこととは全然違う話です。

この段階に達するには、自分がまだその段階でないことに自分で気づくしかなく、言葉巧みに大人が教えてくれることはほとんどありません。
なので、いつこの段階に達するかは個人差が大きく、中学生くらいで達する子もいれば大人になってからという人もいて、どの年齢層が多いといったことも特にないように思います。
中には、思い込みがあまりにも激しすぎて、心を入れ替えないといつまでたってもにっちもさっちもいかない子もいます。
とりわけ「芸術は自己表現の手段であって、それ以外ではありえない」という信念を初心者のあまりに早い段階から持ってしまっている人は、この 3. の段階に至るのが遅れる傾向があります。

かつ、1. ~ 2. の段階では教則本を見れば何となく勉強がはかどっていたものが、このあたりから「該当する教則本がなかなか見つからない」という状況になってきます。
この段階の人向けの本も、本屋・古本屋に足しげく通えばたま~にあったりはしますが、だいたい表面的なことしか書いてないので、基本的にはプロから盗むしかありません。
(しいていえば「アイデア集」みたいな本がこの段階の人向け?)

4. 人の役に立つものを描く段階

分かりやすく、かつ人に見せれば褒められるレベルのものを定常的に生み出せるようになった人が、プロになる手前で(またはプロになってから)陥るのが、当然ながら「ここまでやったのに売れない」「値段をつけてみたら急に評価が下がった」というジレンマです。

自分が描いた絵に「値がつく」ためには、ただ喜んでもらえるだけではダメで、それが何かの役に立つものでなければいけないからです。
それができてないから売れないのです。

ただしここでいう「役に立つ」とは、別に会社で仕事に利用できるという意味ではありません
単に「心を癒す役に立つ」とか「持ってるだけで自慢する役に立つ」「人を喜ばすのに役立つ」または「ゲーム内のシナリオ効果として役立つ」といった全てのケースを含みます。
どんな役にでもいいし、ぶっちゃけ「爆発してない芸術なんて許せない」といった偏見とかあっても全っっ然問題ありません。
ですが、とにかく何の役にも立たない絵は売れないのです。

この段階に達するのはだいたい多くの人がプロになってからですが、社会人1年目でいきなりフリーランスとして売れてしまう人は、おおむねアマチュアのうちにこの段階に達した人です。
通常多くの人は、プロとしてやっていくうちに先輩から学び取ったり、または即売会などで売ったりしているうちに成るケースが多いです。

いうまでもなく、この段階以降の人向けの、教則本というものは存在しません。
俺自身さすがにここまで成った人間ではありませんが、将来的にもこの段階の人向けのコラムを書くつもりは毛頭ありません。
ここ以降は、基本的に「自分 vs 全世界」の領域です。


上記のうち 3. や 4. などは、まだ絵を描きはじめたばかりの初心者には、とても厳しいことを言っているように聞こえるかもしれません。
でもそれは、「そうなるためにはどうしたらいいのか想像がつかない」からそのように感じるだけです。
絵を長く続けていればちゃんと分かるようになります。

ただそうはいっても漫然と描いてるだけの人は、いつまでたっても「1.自分が楽しく描く段階」をクリアはできません。
自分を精神的に成長させるコツは貪欲にむさぼるようにです。

そのような気持ちがない場合は、あえて「1.」の段階で踏みとどまるのもいいし、そうすれば一生楽しんでいられます。
プロになるつもりがないなら、そういう人生も悪くはないでしょう。

ちなみに、(この部分は心理学の難しい話)

自分のレベルを把握するということ

イラスト関連の会話で非常に多いのが、「何才くらいの絵に見えますか?」と質問している人です。
とりわけ中学生以下の絵師さんで、まだ初心者の域を脱していない人は、これを非常に気にする傾向があります。

とはいえ、たとえばヤフー知恵袋でこの質問をすると、だいたい無視されます。
運が良ければ「答えられません」という答えが返ってくることはありますが、律儀に「何才くらいに見えます」と答えているのは、だいたい回答者も小中学生の場合です。
高校生以上の絵師は、こういう質問に取り合う人は(そんなには)多くありません。

なんでかというと、イラストスキルは経験を積めば積むほど「年齢は関係ない」ことが分かってくるからです。
小学生なのにデッサン超完璧な子もいれば、もう大学生なのにぐっちゃんぐっちゃんという人もいます。
ですから、絵の上手下手を判断するのに年齢を指標にすることはできないのです。

ただ、だからといって「人のことなんか気にするな」と考えるのは間違いです。
イラストというのは本質的に「人に見てもらうために描く」ものなので、人目を気にするのはとても重要です。
人目を気にするというか、作品が人からどう見えるかを気にするという意味ですね。

もちろん批判などされたくないし、批判されることに慣れたくもないというのなら、それはそれで1つの「道」ではあって、そういう人はそうすればいいです。
アマチュアとして、楽しく描くことさえ忘れなければ、問題は特にないです。

ただ、批判が怖いし、批判されたら描けなくなるという人は、プロの道はあきらめていただくしかありません。
普通はみんな上級・プロ級になって人に認められたいと思っているわけで、だったら作品の評価を気にするのは当然のことです。

なので、「自分の絵は何才くらいが描いたように見えますか?」と質問する子は、本当はとっても将来有望なんです。
若いうちから自分の作品の評価を気にしてるってことですからね。
(まぁ、そういう子は言わなくてもコツコツがんばるので、普段は「あなた有望です」とか言わないんですけどね)

単にその指標が年齢であるところに問題があるだけです。
というわけで今回は、年齢が使えないなら何を指標にすべきなの? というお話。

1. 絵師にとっての5つの指標

もちろん、芸術の世界には、常識では計り知れないギリギリアウト感を過積載したような人もいて、そういう人が案外大成することもあったりはするものの、ぶっちゃけ滅多にいません。
最近はキュビズムとかダダみたいな指標の作りづらい芸術が高く評価されることもなくなってきたことだし、個人的に知る範囲では今の若い子でそういう方向性を指してる子もそんなにいません。(プロを目指すわけじゃないけど楽しいから一生懸命、という系統の子の中にたまにいる感じですかね)

ですのでここでは、ゲーム・マスメディア・広告などで利用される、いわゆる「商業イラスト」と呼ばれるジャンルを基準とします。
通常はこの考え方で、ほぼだいたいの初心者をカバーできるはずです。

他のコラムでも何度となくポロッと話題に出してはいるのですが、絵師の上手下手はどうやら「デッサン」「色彩」「ディテール」「デザイン」「テーマ」の5つの指標で計れるようだ、というのが個人的な見解です。
まぁ、その観点が絶対ではないんですけど、みんなが欲しがる魅力的な商業イラストが描ける状態を至上とする指標の元では、一般に多くの人が魅力を感じるポイントがこの5つということです。
これを分かりやすい呼び方に変えたものが下記の一覧になります。

1. 正確な描画力

いわゆる「デッサンが狂ってる」と呼ばれる状態を極限まで抑え、正しく見える絵を描く能力のことです。
または、ポーズを力学的に正しく描く能力も含まれます。
一般に初心者絵師は、上手下手をこの能力だけで推しはかる傾向があります。
 
正確な描画力には、サブスキルとして「美しい線を描く力」「立体感覚」「人間や動物の解剖学(または機械の構造)を理解する力」「重心やSカーブを意識する力」「パース」などがあります。
それら全てがワンセットになって、初めて「正確な描画ができる」という感じでしょうか。
 
ただし、同じ「正確な描画力」スキルでも、それらが全て完璧じゃないといけないかというとそうではなく、あらゆるプロに共通して求められるのは「美しい線を描く力」だけです。
それ以外は、もちろん全て完璧であるに越したことはないものの、だからといって「完璧な絵しか描けない」というのも逆に問題で、そういう人は商業的には「扱いづらい絵柄」と受け取られる傾向が強くなります。
なので得意分野が明確であるとか、全体のバランスがとれているとか、仕事に合わせて作風を変えられるとか、そういう絵師としてのアイデンティティが確立できていればOKっぽいです。

2. 色彩感覚

色をちゃんと扱う能力は、実は突き詰めれば「5. 表現力」の一部だったりするんですけど、ここではあえて別枠としています。
多くの人は「表現したいものを表現すること」と「色が美しいこと」を分けて考える傾向があるからです。
 
色彩感覚のサブスキルには、「よいカラー計画を考案する力」「塗りの際に正しい色を選択する力」「複数の塗り技術を、状況に合わせて正しく使い分ける力」などがあります。
(一部「色彩感覚は網膜の体質だけで決まり、後天的な訓練はできない」と勘違いしている人がいますが、ごく普通に間違いです。カラー計画の立て方の手順や、テーマに即した色の選び方なんてのは網膜は教えてくれません)

3. 精神力

これは要するに読んで字のごとくですね。
後天的には鍛えられないと考えている人も多いので、あえてリストアップしてあります。
もちろん、がんばって鍛えれば鍛えられる能力です。
 
サブスキルは「ディテールの細かいとこを仕上げるていねいさ」「最後まで作品を作り上げる我慢強さ」「完成までのスケジュールを立てる力」の3つです。
 
精神力の本質が大部分は「体力」だと思ってる人もいますが、これも間違いです。
体力ももちろん大事ですけど、それよりは「自身の行動の必要性を正しく認識し、自分を律する能力」の方が重要で、この能力をよく鍛えている人は、より少ない体力で作品制作ができます。
イラストに限らず、一般にスキルを覚えるとは、すなわち「そのスキルを行使する上で重要なポイントを習得する」ことに等しく、何が大事で何は大事でないかを分かってる人は、無駄な作業に無駄に体力を消費しなくていいからです。
(まぁ、根本的に絶対的な体力量が物理的に少ないのもそれはそれで問題ですから、そういう人は絵を描くのにまずジョギングが必要、なんてことになるのかもしれませんが)

4. デザイン力

そもそもデザイン能力は、イラストを描く能力とは全然別の無関係なスキルで、絵が描けるからデザインもできるかというと、そんなことは絶対ありませんよね。
「ギターが弾ける人は作曲もできるはず」なんて思う人はいません。
 
とはいえ一般に日本の商業イラスト業界では、絵師にデザイン力を求めるのが一般的であり、会社によっては絵師のことをそもそも「デザイナー」と呼んだりします。
なんで絵師はデザインもできて当然というイメージがあるんでしょうかね……?
 
この、なんでもかんでも特定の人に押しつけちゃう日本の商習慣って、もうホント何とかなんねぇの馬鹿じゃねぇのって感じなんですけど、でもまぁ俺も含めて「デザインもできたらやりたい」と思っている絵師は多いのでリストアップしてあります。
絵師にとってデザインスキルは必須スキルではありませんが、できないよりはできた方が絶対いい、という類のものです。

5. 表現力

これは非常に意味の広い言葉です。
サブスキルは「テーマを考案する力」「設定やシナリオを考える力」「演出テクニック」「ポーズを考える力」「構図設計」などなど、数限りなく無数にあります。
 
それを全部ひとくくりにしちゃうのはどうかと思ったんですが、要するに「伝えたいことを正しく伝える力」と考えれば、1つの能力といえるのかなと思います。

自分の絵を客観的に評価する場合、手近な人達と自分の実力差がどれくらいあるかを、上記のような観点で比較すればいいわけです。

ちなみに当サイトの多くのコラムでは、上記の 1. ~ 5. の能力が、どれか1つ以上プロとして何とかやっていけるレベルに達している状態を「上級」と定義しています。
なので、「デッサンはプロ並みだけど他は初心者」なんて状態もありえます。
また、1. ~ 5. の能力全てが上級に達している状態が「プロ級」です。
(実際には1つくらい不得手があってもプロにはなれますケドね)

ただ、俺が「初級」「中級」「上級」と呼んでいる状態は一般に多くのプロの人達にしてみれば全て「初心者」であり、俺がプロ級と呼ぶ状態になって初めて「なんとか使い物になるレベル」なんだそうですよ。
当然かもしれないけど世の中キビシー!!!

2. チャート図で自分を客観視してみよう

初心者の中には、自分が今どれくらいの段階なのか知りたいという人も多いと思います。
そういう人は、どうでしょうね。
こういうの作ればいいんじゃないでしょうか。

「プロデビューする前に当然習得すべきスキル」を全て習得し終えている状態が
「周囲のアマチュアと比べてそう大差ない」くらいが
「最近取りかかり始めたばっかり」の状態がになります。
完全に未経験だったらです。

直近1~2ヶ月以内に描いたイラストのうち、一番出来がよかったものについて評価を行います。。
色が塗れる人はカラーのもの、さらに背景が描ける人は背景つきのもの、デザインもできる人はキャラクターがオリジナルのものです。

で、自分で描いたものを適当に用意し、「これは自分が描いたものではない。友達が描いたものだ」と言い聞かせながら、チャート図に数値を入れていきます。
自分で自分のために作るものですから、数値はフィーリングで決めてしまって構いません。
見栄を張る必要も、謙遜する必要もありませんし、自分に嘘をつくのは絶対にダメです。

「プロとしてギリやっていけるか」という観点で、「まぁなんとかなるやろ」と思うなら自己判断で5を付けてしまってもいいです。
2や4がどんな状態かという決まりも特に作っていませんし、「周囲のアマチュア」なる人達がどれくらいのレベルを指すのかも特に決まりはありません。

ただ唯一、「5でないのなら、自分に足りないものは何?」ということを考える必要はあります。
「まだ足りないものがある」と思うからこそ、自分の意志で4以下を選んだのです。
そのためのチャート図ですからね。
全5要素について、自分に足りないもののリストを作っていきましょう。

とはいえ1や2の状態の人は、自分に足りないものの心当たりがありすぎて、逆に何を挙げたらいいか分からなかったりするかもしれません。
そういうときは、「少なくともこれは今の自分にはないよね」というスキルが1つでも思いつけばOKです。
本当にヤバいくらいマジで何にも浮かばなければ、(本当は自分で思いつくのがいいんですけど)先生や先輩に相談して挙げてもらっても構いません。

3. 自分に足りないものを持ってる人を数えてみる

チャート図が完成し、今の自分に足りないものをリストアップしたことで、自分の実力がはっきりしました。
でも「何才くらいの絵に見えますか?」という質問は、本当は「世間一般全体と比べて、自分はどれくらいのレベルなのか」ということを知りたいのではないでしょうか。

ぶっちゃけそんなの分かるわけないし、仮に分かったとしても絶望しかないとは思いますが、とはいえ手の届く範囲で推測することはできます。
「今の自分にないもの」のリストはすでに手元にあるのですから、それが出来ている人の数をpixivやツイッターのフォロワーなどで数えればいいのです。
なるだけ身近な人がいいのではと思います。

その割合が2人に1人よりも少なければ、そのスキルについて平均以上の実力があることになります。
逆に多ければ、スキルはまだ平均よりも低いのです。
で、平均以上のスキルの数が平均未満のスキルよりも多ければ今のあなたは平均以上だし、逆なら平均以下ということになります。

まぁ、さすがにそこまで厳密に計算なんかやんない方がいいと思うんですけどね。
嫌になるだけだし。

でも自分にないものを持ってる人を数えることには意味があって、つまり数える過程でチェックした人が直近、今のあなたの先生なんです。
その人達からしっかり技術を盗んで、あわよくば超えていきましょう。

「自分のレベルを把握する」とは、つまり効率的に人から技術を盗むためにやることだからです。

そもそも「スランプ」とは何なのか

人間というものは、往々にしてスランプに陥ります。
何の前触れもなく、または何か事件があって、今まで得意だったことが突然できなくなり、そこからなかなか抜け出せなくなるんです。

とりわけ「絵師」は、他の趣味と比べても格段にスランプの猛威にはさらされやすいといえます。
上手な人達と自分を比べる機会が比較的多く、かつスランプからの脱出方法として一般に広く知られている方法論がそもそも間違っているからです。

個人的な試算によると、趣味で絵を描きはじめた人の90%以上は3ヶ月以内にやめてしまい、2年以上続く人は1%未満しかいません。
さらに成長中に何度も襲い来るスランプを全て跳ね除け、無事に上級の領域に到達できる人の割合は0.2%であり、プロとしてデビューする人の割合に至ってはは実に0.0004%しかいないという計算になりました。
(日本人の10人に1人が「描けるようになりたい」と一生のうちに1度は思うという仮定のもと)

そのほとんどは、やめてしまう理由はたいがい「スランプ」がきっかけです。
ここでは上級の領域に到達することを「描けるようになった状態」と定義し(やる気のある人がみんなプロを目指すわけじゃないので)、かつ他に魅力的な趣味を見つけて卒業していく人も50人に1人くらいはいるとしても、スランプというものは実に「100 - 0.2 - 2 = 97.8%」もの人達を地獄に叩き落すことになります。

また、この97.8%の中には、十分な実力がまだ身についておらず、しかもかつては上級者になることを夢見ていたはずなのに、十人並の段階で作風を固定させて成長を止めてしまう人(いわゆる「悟りを開いた人」)も含まれています。
この人達が中途半端に悟りを開いてしまうのも、だいたい「スランプ」がきっかけです。

だとすると、そんなにも人を苦しめる「スランプ」とは何なのか。
どうすれば脱出できるのか。
今回はそういう話です。

なお今回は、「スランプからの脱出は、一般に言われてるよりはるかに難しい」という内容になります。
当コラムは、「読者はあらゆるスランプを確実に脱出したいと思ってる」という前提で書いていますが、そうでない人が世の中にいることは否定しませんし、そういう人は今回のコラムは別に読まなくてもいいかもしれません。

1. そもそも「スランプ」とは何なのか

イラストスキルに限らず、人間が何らかの新しいスキルを習得しようとするとき、その成長曲線は必ず似たような形になる、という実験があります。
コンピューターのことを何も知らない学生を集め、彼らに「ラインエディタ」と呼ばれる特殊なソフトウェアの使い方を覚えさせるミッションを与え、そのタイピング速度をグラフにしてみたところ、その成長曲線は訓練時間とは絶対に正比例にならず、必ず「階段状」になることが分かった、というものです。

またコンピューターの使い方に限らず、スポーツなどの他の訓練も、少なくとも「階段状になる」という点だけは必ず一緒だったそうです。
つまりスキルというのはもともと「伸びやすい時期」と「伸びにくい時期」とがあって、それはそういうものだからどうしようもないということです。

で。
なぜ人間の成長曲線は必ず階段状になるのか。そこがキモです。
別に本人は一生懸命やってるだけなんだから、青い線のように訓練時間に比例して上達してもよさそうなものですが、絶対にそうはならない理由はなんでしょうか。

それを調べるために、「伸びにくい時期」にいる生徒の行動を調べてみたところ、その直前に必ず、何らかの「新しい知識」を習得していることが分かりました。
たとえば、習得した新しい方法(カーソルの上下移動には矢印キーを使うよりも行番号を数字で入力した方が早い、など)を試そうと試行錯誤するものの、手がうっかり以前のやり方で動いてしまってタイピング速度が落ちていた、とかです。
言うなれば、知識として頭で覚えてから、手が新しい知識になじむまでの落差が「伸びにくい時期」の正体です。

しかもややこしいことに、たまに新しいやり方に変えようと試行錯誤していることを、自分自身が意識していないことすらあったのです。
なんかキーが打ちにくいなぁと思ったら、昨日まで「し」を「SHI」と打っていたのに、今日になって急に「SI」に無意識に変えてた、なんてことは現実にもあることです。
頭ではその方がタイプが早いことを無意識に感じているものの、手がそれについてきてない、という感じでしょうか。

美術の場合、そもそも「美」とは感覚的なものなわけですから、この「無意識の試行錯誤」は格段に多くなります。
より細かな指使いをするため、無意識に今までよりも鉛筆の先を持っていた、といったことも特に普通にありえるわけです。

鉛筆の持ち方を変えれば描きづらくなるのは当然のことですが、でもやってる本人はあくまで「無意識」なので、自分が鉛筆の持ち方を変えていることに気づきません。
意識的には「昨日までと同じように描けるはず」と思っていて、だから描けない理由などないはずなのに、なぜか描けないと感じるのです。

それが世に言うスランプです。


厄介なケースは、ストレスの一部で、直前に起きたネガティブな出来事としばし結び付けられてしまった場合です。

まとめサイトに定期的に登場する割と有名なイラストで、「絵上手い人はこれ見て感動するらしい」なるものがあります。
ほんの数ページ程度のマンガなんですが、

1. 女の子がコンクールで金賞を取った翌日から、突然絵が描けなくなる
2. 凄く悩むんだけど、顔のない人物が「君ならできるよ」と頭を撫でてくれる

という内容のものです。
このマンガでは、主人公の女の子がスランプになる理由は語られていないのですが、「コンクールに入賞したことによるプレッシャー」が原因であると暗示されています。
その例に限らず、「1作目がウケがよくてプレッシャーを感じて」「親と喧嘩して趣味を否定されて」とか、ネガティブな事件があって、それがきっかけで描けなくなったと感じている人は多いです。

たしかに、「次はもっと巧く描かないと」という意識が強くなりすぎるケースや、誰かに趣味を否定されたことがきっかけて無意識のうちに自分で自分の否定し始めてしまう、なんてことはありえるんですけど、上記で示したマンガと同じ状況の場合はありえません。

このマンガにはだいたい「なんのこっちゃ」というコメントがついているのですが、これは主人公の女の子の悩み方が「ありえない」からです。
コンクールに入賞したことによって次を期待しているのは「自分」ですから、自分自身の期待がプレッシャーになって描くことすらできなくなるなど、普通に考えたらありえないのです。

この女の子が描けなくなった本当の理由は、コンクールで金賞をとるという経験をしたことによって、コンクールで入賞するレベルの絵を描くコツという新しい知識を得たからです。
でも、そんな「コツ」なんて感覚的なものを、すんなり理解できるわけがありません。

自分でも理解できていないことを無理に実践しようとすれば、一度はできたことであっても、ちゃんと理解していなければ「なぜかできない」のは当たり前というわけです。

2. スランプからの脱出方法

上記の例の女の子の場合、スランプから脱出するにはどうすればいいでしょうか。
普通に考えたら、「気晴らしする」ってことになるんじゃないかと思います。
(他にも「とにかく描きまくる」といった方法もよく聞きますが、これは好きな絵を雑多にラクガキしているだけなので気晴らしと変わりません)

でも、本当にそれでいいんでしょうかね。

半分パニック状態でめちゃくちゃ考えまくって分からなかったことが、気晴らししようとした瞬間に突然理解できた、なんてことはよくあるので、もしかしたら何かのきっかけで「コツを自分のものにするコツ」も何かひらめくかもしれません。
そういった意味で、気晴らしはスランプを脱出する方法論の1つとしては無意味ではありません。

でも「一息ついた瞬間にひらめく」って割と確率論的なことだし、必ず起こることじゃないんですよね。
通常多くの場合は、気晴らしすることで、せっかく得た「入賞レベルの絵を描くコツ」を忘れてしまうことによって、「以前の感覚」が戻ってくるだけです。
その場合、女の子に戻ってくるは入賞などとてもできない、低レベルな実力だけということになります。

それって凄くもったいないですよね。
せっかく1度は入賞できたのに。

もちろん女の子の周囲の友達や親は、女の子が苦しむ姿など見たくないですから、「気晴らしでもしたら」と言うと思います。
それが周囲の人達の優しさです。
でも実際には、その優しさは本人のためには全然なってないわけです。

本当は女の子は、なぜ自分が「入賞レベルの絵を描けた」のかを必死で考えるべきなのです。
たとえまぐれでも「一度は描けた」ということは、周囲の人や資料などから何らかのヒントを得ているはずで、探せばそれは絶対に見つかるはずなんです。
しかも彼女の場合は「記憶が頭の中にある」うちにもう1度探さないと、時間がたってからでは探せなくなる可能性があります。

とりわけ、入賞の翌日にはもう「あれ、描けない」と感じるほどのミラクルヒットだったわけですから、タイムリミットはいいとこ3日でしょう。
自分の絵について評価してくれた全ての人の言葉、直近数ヶ月以内に学んだ全ての資料、最近見た全ての絵、描いた絵を全部思い出して、「次はまぐれでなく実力で描ける」ようにならないと、残るのは「まぐれで入賞した」という経歴だけです。
ぶっちゃけ泣いてる暇どころか、ご飯を食べる暇も寝る暇もないかもしれません。

まぁ、現実にはこの女の子のようなミラクルヒットなんてほとんどないので、そんな切羽詰まってスランプを脱出しないとヤバい、みたいなことはあんまりありません。
通常多くの人は「いつも通りに描いていて何気なく」スランプに入ります。

そういう「まぐれ要素」がない普通のスランプの場合は、時間をかけても大丈夫なことが多いです。
俺は立体感覚というものが分からなくてスランプ期が10年続き、一時は一生無理かとも思いましたが、ルーミス本を読んだらちゃんと脱出できました。

とはいえ、スランプというものは入った理由が分からないと脱出もできないのは基本的なことです。
当コラムの読者は「本気で真面目に絵が上手になりたい」と思っているはずで、そう思っている以上は、このことは心得ておくべきです。
あなたはその辺のにわか連中とは目指すレベルが違う人なので、「以前の感覚」になんか戻っていいはずがありません。

ですが1つだけ安心していいのは、スランプに入ったからには、そのきっかけは必ず身近にあるし、ないとおかしいということです。
だって、知識として頭で覚えてから、手が新しい知識になじむまでの落差がスランプの正体なわけだから、スランプ期に入った理由が自分自身の頭の中にないとスランプに入るわけがありません。
だから理由は探せば絶対見つかります。

マンガの中で入賞した女の子をなぐさめた人物は、無責任な楽観論で微笑みかけるべきではありませんでした。
上記のような、スランプとは何か、どうしたら脱出しできるのかをちゃんと説明したうえで、「だいじょうぶ、君はきっとできるよ。」と言えば、とっても説得力があったはずです。
そうすれば、脱出できないスランプなんて理論上ありえないことまで、ちゃんと女の子に伝わったはずです。

まぁ、マンガがもしそういう会話運びだったら、ストーリーとしては面白くありませんでしたけどねwww

努力しても絵が上達しない理由は「何も考えていないから」

今回あおりました。
タイトルで超あおりました。
なぜならメチャクチャ重要な話だから。

日本人は「考える」という作業をすることが特に苦手です。
考えることが苦手な人は世界中にいますが、日本人は特にひどいです。
苦手などころか、たとえば「社長」「政治家」「司令官」などの考える作業の専門家を口先ばかりで手を動かさない人と揶揄したりします。

これは、日本人が「考える」ことを凄く簡単なことと捉える傾向があるためです。
「おまえ何も考えてないだろ」って言われると、たいていの人が少しムッとするのがその証拠です。
考えることを「凄く簡単なこと」と捉えるがゆえに、「何も考えてないだろ」と言われると「そんな簡単なこともできないのか」と言われているように感じるわけです。

今回は、本当はその解釈が間違いだという話。

1. 日本人がいかに「考える」ことを理解していないか

なんで日本人がそういう民族になっちゃったのか。

それは、日本人はとかく「責任を負う」のを嫌がる民族だからです。
責任を負う立場になることを嫌がるばかりか、「結果的に責任を負うハメになる」ことも嫌がります。
その証拠に、人の上に立つ人間(上司・親・先生など)の中には、この↓言葉を口癖にする人も多いです。

「それくらい考えれば分かるだろ」

あなたの周りにも探せば1人くらいいますよね。
こう言っときゃいいと思ってる人。
やぁもうサルかおまえはって感じですけど、ようするに責任を負うのが嫌だから、あえて何も説明しないことによって、部下に責任ごと丸投げにしているわけです。

とはいえこの、上が下に「それくらい分かるだろ」という言葉で責任を丸投げにしてしまう傾向は、おそらく古くからの日本人の悪癖だったのではないかと考えられます。
そして言われた方も「分かるか!」と言い返せればいいんですけど、もともと大人しい気質の人は、「そっか、分かるのが普通なんだ……」と素直に信じてしまいます。
こうして日本人の頭の中には、「どんな難しいことでも、たとえ自分が知らないことでも、考えれば発想できるし、それができないのは自分が馬鹿だから」と考えてしまう遺伝子が刷り込まれてしまいましたとさ。
めでたしめでたしです。

でも実際には、「考えれば分かる」なんてことはありません。
知らないことを発想するなんて物理的に不可能です。
知らないことは学ぶしかないんです。
言われなきゃ分かんないことは、言われなきゃ分かりません。

なのに「考えれば分かるはず」という間違った都市伝説が一般に広く信じられているため、「普通は考えれば分かる」→「でも自分には分からない」→「つまり自分は馬鹿なのだ」→「じゃあ考えるのをやめよう。無駄だ」ってなるんです。

分からないからって考えなくていいわけはないのですが、大多数の日本人は「自分は考えても無駄な人間」と信じているので、「考える」という行為の重要性が分からないまま大人になってしまいます。

実社会だと、上司に「それくらい考えろ」と仕事を丸投げにされてキレてしまい、結果何も考えずにやっつけ仕事をしてしまう部下、なんて構図が腐るほどあります。
つまり、「自分は考えても無駄な人間だが、自分以外はそうじゃないはず」という意識を上司と部下が互いに持っているため、仕事のやり方を誰が考えるのかという懸念事項をお互いに押しつけ合ってるわけです。

別に会社だけとは限りません。
絵の素人さんで、「上手な人は美大で教えてもらってるから上手なんだ」と考える人、いますよね。
そういう人は「本人が自分で考えた(がんばった)から」とは決して思ってません。それを指摘すると、「いや、本人のがんばりもあると思うけど!」とか言い訳みたいに付け加えるんです。
「考えることは無駄なこと」という意識が強いため、「考えなくてもすむ方法を教えてもらってるに違いない」という安易な発想に飛びついているわけです。

同人制作なんかでも、そういう傾向があるチームは多いです。(何となくの友達同士のチームほどね)
「考えることは本来簡単なこと。でも自分はそうじゃない」と考えてるわけですから、誰も「考える」作業をやろうとしない。みんなで押しつけあってしまう。
だから結果的に誰も考えない、誰もまとめない。で、チーム自体が自然解散。
よくある話です。

で、そんなことを繰り返すうちに、考える作業自体を「自分とは関係ない、誰か他人がやればいいこと」と、甘く見るようになってしまいます。
たとえば、プロの絵を見て「こんなもん俺にも描ける」という評価をくだすのが、その典型です。

そう言う人に「描けるなら描けよ」と言うと、模写だけして「ほら描けた」と答える人が多いです。
中には模写がすっごい上手で、実物よりも上手に描いている人もいますが、そうじゃなくてキャラクターを考え、ポージングを考え、構図や背景を考えるという作業を行っていないのですから、模写をしただけでは「俺でも描けた」ことにはなりません。
それは単なるサル真似です。

こちらは「何もないところから同じレベルのイラストを考え出してみせろ」と言ってるんですが、そう指摘すると「???」ってなってしまいます。
「考える」という作業自体を凄く甘く見ているので、なんで自分がそんなことしなきゃいけないのか、理解できないわけです。

2. じゃあ「考える」って何なの?

日本人のこういった考え方の典型となる例は、童話「ネズミの相談」でしょうか。
猫の恐怖に怯えるネズミ達が、「猫に鈴をつけて行動を監視しよう」と考えるものの、その鈴を誰がつけに行くのか決まらずに実行できない、という話です。
この話自体はイソップ童話ですが、偶然にも日本人の気質をよく表しています。

この物語は「相談」というタイトルなのに実際には相談するシーンはありません。悩んで終わりです。
それどころか最初に「猫に鈴をつけよう」と思いついたキャラクターも登場しませんし、仮に登場しても「ネズミA」とかだったりします。また、そのネズミがどうやって思いついたのかというプロセスも分かりません。
にもかかわらず物語に違和感は特に感じません。
仮に「考えるシーン」を入れたとしても、みんなで「う~ん」と唸りあってるような全く動きのない絵面になることでしょう。

そうじゃなくて、「考える」とは、どうやって考えたらいいか、発想法を調査する。それも分からなければ調査法を調査するというところもぜーんぶこみこみひっくるめて考えるなんです。
「考える」とは、「う~ん」という唸り声をあげる動作を指す言葉ではありません

なのに、多くの人は「考えろ」と言われると、その場で固まって頭の中だけで作戦を練り始めます。
本来、「考えろ」と命令されたときには、どうすればいいかの調査からまずやるべきなんです。

だって、頭の中にないことが唸っただけで浮かんでくるわけないじゃないですか。
知らないことは学ぶしかないのです。
「考えろ」と言われたら、それは「やり方を調べろ。それも分からなければ調べ方を調べろ」というのとほぼ同じ意味です。

たとえばネズミの相談のように、「誰かがやらなきゃいけない」というケースにおいては、本当はネズミ達は「誰が鈴をつけるのか」ではなく、「誰が(作戦を)考えるのか」を最初に決めるべきです。
つまり作戦行動のリーダーですね。

で、その人が責任をもって作戦を練る。
作戦の立て方が分からないならまずそこから調査する。
何をどう調査したらいいか分からないなら、調査法を調査する。

また、他のネズミだって何もしなくていいわけがありません。
「リーダーにどんな作戦を提案するか」「リーダーが考えた作戦をどうやって成功に導くか」「リーダーが考えた作戦の欠点を見つけ、その解決策を見つけるにはどうすればいいか」といったことを考えなければいけません。
つまり何も考えなくていいメンバーなんて誰もいないのです。

考えて分からなければ調べる。それでも分からなければ調べ方を調べる。
そこまで全部ひっくるめて「考える」です。

3. 絵師にとっての「ネズミの相談」

とりわけ「想像すること」を主とするクリエイターにとっては、この「考える」という作業をどうやってやるのか、を意識することがとても重要です。
つまり、どういう方法論で発想するのか、どういう順序で発想すれば完成品を思い浮かべられるか、ということです。

具体的には、たとえばスチルイラストを1枚描くという作業の場合でも、以下のような考える作業が必要です。

・キャラクター設計

顔だち、体格、髪型、萌えポイント、人物の背景設定

・表情とポージング

なぜそのようなポーズをとるに至ったかのシナリオ

・服のデザイン

その服のデザインコンセプトおよびデザイン、素材(しわ)

背景もつけるんだったらさらに以下もあります。

・舞台

どのような場所か。その場所がそういう風景になった理由、周囲の人物

・光源

光を演出的に使うのか、写実的に使うのか。演出に使うならその設計。

・アクセント

必要なら

(それから漫画の場合はここに「ネーム」も入ってくるし、チーム制作の場合は「プロジェクト管理」、印刷に専門会社を使うなら「企業との窓口業務」なんてものにも考える作業はあります。プロの場合はさらに「どうやって締め切りに間に合わせるか」も考えなければいけません)

これだけのこと、順番に考えていたら1つ1つが「ひと仕事」なはずで、もしこれらを全て「やり方を調べる」ところからやってたら、全部をやり終えるのに数ヶ月以上かかっても別に不思議ではありません。
ですが初心者は「プロはこれらのことを全部一瞬で思いついている」と信じて疑いません。
「考える」ということの意味も重要性も理解していないからです。

絵がなかなか巧くならない人は、「どうやって描くのか」ということに注視しがちで、どう考えればいいのかの視点が抜けていることも多いです。

デッサンは考えなくてもできるので熱心にやるけど、いざデッサンが終わって「考える」という作業が必要な段階に達すると、「これ以上は生まれつきのセンスが必要だから自分には無理」と信じてしまっていて考えることをやめてしまったり、あまつさえ限界を感じて絵を描くこと自体をやめてしまう人もいます。

4. そんなスキルどうやって覚えればいいの?

ただし幸運なことにあなたは絵師です。
なので、「どうやって考えるか」を今は分からなくても、「どうやって考える力を身に着けるか」という訓練方法はすでに知っているはずです。
非常に簡単です。

模写のときと一緒です。

あなたが初心者時代には(もしまだ初心者であれば現在進行形で)、模写をやっているはずです。
で、その模写というのはそもそも、プロと同じ指使いをマスターするためのものだったと思います。

ですがよくよく考えたら、あなたは出来上がったイラストを見ていただけで、「本人が描いているところ」を見ていたわけではありません。
描いた本人のところに出かけて見学させてもらったわけでもないでしょう。
まぁ、たまには見学する機会があったり、YouTube の動画で見たりした人はいるかもしれませんが、1から10まで覚えるまでずっと見ていて、ロボットのように完全に真似るところから入ったという人もなかなかいないでしょう。
あくまでも、「プロはこんなふうに指を使っているのではないか(ようだ)」という観点で、プロと同じ指使いを想像で真似ていただけです。

できないときは色々やり方を変えてみたり、どうやらこの指使いではダメらしいと挫折してみたり、または同じ指使いを徹底的に突き詰めてみたりしたはずです。
そして、別にプロに手取り足取り教えてもらわなくても、プロのやり方を想像するという方法だけでもちゃんと上手になりました。

であれば、「考えるという作業の方法論」も一緒です。
プロと同じと思われる方法を探して、色々試せばいいんです。
ようするに「プロと同じ手順で同じことを考えれば、プロと同じ発想法は身に着けられる」という論法です。

先ほどの「考える作業一覧」にあるスキルは、全てこの方法で覚えることができます。
個人的には、まずはファッションデザインの発想法など、表面的で分かりやすいスキルから入るのがおすすめですが、基本的には「できそうな気がする」と少しでも感じるものを真っ先にやるのがポイントです。

どんな順序でどんなことを考えればいいという手順を書いた教則本は基本的にはありませんが、そういったことを得意とする人が書いた本を読んだり、ブログを読んだり、または雑誌のインタビュー記事などを見て推理することはできます。
もしくはイラスト教則本のすみっこなんかに、重要なヒントになるような「考え方の切れ端」みたいなものがさりげなく書かれていたりもします。

分かるわけないと思ってますか?
それともやってみたけど分かりませんでしたか?
でも模写のときだって、最初は訳が分からなくて右往左往して、けっきょく模写だけで1年近くかかったりしましたよね?
人によっては4年? 5年? かかりましたよね?

だったら「考えるスキル」にだって、習得には同じくらい時間がかかって然るべきです。
基礎練習ってのはつらいんです。
こればっかりはどうしようもないです。

もしあなたが中級以上の絵師なら、1度くらい後輩にそう言ったかもしれません。
そういうものなんです。

でも、この方法で訓練を積めば、絵師としてだけでなく「仕事人」としてワンランク上の作業ができるようになります。
「それくらい考えろよ」「いや、おまえが考えろよ」といった仕事の無為な押し付け合いは必要なくなりますし、「おまえらうるせぇ、俺がやるから見てろ!」とか言えるようになります。

また、もしあなたが会社で残業過多に悩んでいるなら、この「考える」練習をするだけで残業時間は大幅に減るはずです。
「考える作業」を甘く見ている人は、自分の1日のスケジュールを立てる際にも「考える時間」を計算に入れず、1日中ずっと手足を動かしている前提で計画を立ててしまいます。
ダンゴムシじゃないんですから、「何も考えずに手足だけ動かす仕事」など存在しません。
手を止めて考えこむタイミングなんて日々いくらでも発生しますので、そんなことでは残業が発生するのは当たり前なのです。

人間のデッサンが分かれば人間以外のデッサンもさほど難しくないのと同じで、ジャンルによっては1つ覚えれば応用が利くものもあります。
なので、この世のあらゆる「考え方」をそれぞれ個別に覚えなきゃいけないってものでもありません。
たとえば「デザインを考える」作業では、ファッションデザイン・鎧のデザイン・二足歩行ロボットのデザインなどの形が似通ったものは、基礎となる予備知識が違うだけで発想法自体は同じ、というものも結構あったりします。

もちろん「自分の1日のスケジュールを考える作業」なんてのは、社会に出たらどこの会社に行っても絶対に通じるスキルです。
また意外なところでは、「絵の構図を考える」作業と「プレゼンのレジメを考える」作業は実は似ていたりと、全然違う分野でも生かせるケースもあります。


人間は「考える」という作業をする立場の人を上に見る本能があります。
とりわけ、周りから何となく下に見られがち、という人は、一度がんばってみた方がいいでしょう。

不安すぎて逆に描けないという状況について

日本人はとにかく、何かのプロフェッショナルになって輝かしい業績をあげることが苦手です。
絵師の場合は、そもそも門が狭いという物理的な問題の方がプロになりづらい理由としては大きいですが、今回はそこは考えないで、プロになるという目標を持つことのスタンスの話。

絵師にかぎらず、日本人はとにかく、何か輝かしい業界でプロになることをよしとしない気風を持っています。
プロスポーツ選手はだいたいヨーロッパ人より弱いし、イラストレーターは海外で活躍してても細々と仕事してる感が強く、歌手は海外で当てたら日本に帰ってきません。

これはなんでかというと、日本人は横並び精神があまりにも強すぎて、目立つ立場に立つことを本能的に不安がるからです。
もっというと、日本人は「不安がり屋」の遺伝子を生まれながらに持っていて、欧米の基準で判定すると、日本人のほとんどは「病的な不安神経症」と診断されてしまいます。
(どこかのバラエティ番組が調べた非公式の統計では、「人口の98%が『重度の不安神経症』に該当する」という結果もあります)

とにかく何でもかんでも不安でしょうがなくて、とりあえず自分の身に起こる毎日の日常イベントの全てに「不安」から入る。
それが日本人です。

しかも多くの人は、自分が不安に思ってること自体に気づいていません
少しくらい不安なのが当たり前だと思ってるからです。

あなたも、もしかしたら、よくよく考えたらバカバカしいような頭の悪い不安を抱えているかもしれません。

・上手になりすぎて、周りから叩かれたらどうしよう

・絵の練習なんかしても上手になれなかったらどうしよう

・同年代の人に、実力的にどんどん追い抜かれたらどうしよう

たとえばですけど、こんな感じ。

しかも厄介なことに、日本人絵師の多くは、普段は意識的にはこんなこと考えてないんです。
考えていないにも関わらず、こんな風に思っている自分がいることをまず前提として、そのうえで日々の状況判断をしているのです。
なので、自分が不安を抱えていることを認識することがまずできません。

たとえばの話なので色々挙げてみますが、たまにネット記事を騒がす以下のような人。いますよね。

・友達に悪く思われてたらどうしようと思い込む

・上司に悪く思われてたらどうしようと思い込む

・ママ友に馬鹿にされたらどうしようと思い込む

・自分のことを知っている人は、みんな自分の陰口を言っているのではと不安がる

・褒められると、実は悪意があるのではと思い込む

・実は自分は周りの人間よりも出来が悪いのではと思い込む

・上司より先に退社したら失礼になると思い込む

・部下より先に退社したら出来が悪いと思われると思い込む

・職場の同僚が働いていたら、一緒に残っていないと迷惑をかけると思い込む

・職場の同僚が先に帰ったあとでトラブルが発生したらどうしようと思い込む

・自転車で走っているときに、歩行者と自動車の両方から疎まれていると思い込む

・急いでいるときにエレベーター上で静止している人がいると、自分に対して悪意があると思い込む

・「ご苦労様」が失礼な言葉だと思い込む

・お客様に料理を出すとき、漬物の枚数を3切れにすると「身を切れと言っているのか」と苦情が来るのではと思い込む

こんな感じでね、もうホント「あほかー!」って叫ぶ気力も失せるくらいのアホ集団です。
それが「勤勉大国」と呼ばれる日本人の正体だったりするわけですよ。

とにかく真面目にやってるフリをしないと不安で不安でしょうがないから、その不安を紛らわすために真面目に勉強や仕事に取り組むんです。
でも基本的に「不安を紛らわすため」に動いてるだけだから、そもそもやってることがトンチンカン。

ブログや雑誌記事に載ってしまう系の人はかなり重度な行動をとりますが、日本人は「そこまでいかずとも、心の中でちょっと思うくらいなら普通」と思っています。
それ全然普通じゃないからね!?

中でも悪質なのが、「自分に向けられたあらゆる言葉に対し、実は隠された悪意があるのではと思い込む」というもの。
特に仕切りたがりの人とかが、実は内心思ってたりすることが多いみたいです。

「AKBにいそうだよね」と褒められる

→ 「AKBにはブスもいるじゃない! 私がブスって言いたいの!?」と受け取る

「若く見えるね」と褒められる

→ 「アホっぽいって言いたいのか!?」と受け取る

「落ち着いて見えるよね」と褒められる

→ 「アホつまらないって言いたいのか!?」と受け取る

言ってねーよ。うるせぇよ。永めに寝てろよ。
素直に受け止めればいいのに、「馬鹿の考え休むに似たり」とはホントよく言ったものです。

しかも大部分の人は、自分が不安に思ってること自体に気づいてないのです。
自分が不安に思っていることに自分で気づいていないがゆえに、「誤解するようなことを言った相手が悪いのだ」と考えてしまいます。
せっかく褒めてあげたのに、言った方はいい迷惑です。

それから、日本では残業しすぎによる過労死が社会問題化していますが、その原因も根っこは一緒です。
不安で不安でしょうがないから、無駄に過大な残業をしすぎる。もしくは部下に残業を無理強いしすぎる。
なのに自分が不安に思ってること自体に気づいてないので、「残業しないと(させないと)不安」という思い込みが実はごく個人的な妄想だということに気づくことができません。
だから自分が不安なのを「ブラック企業」のせいにしてしまうんです。

あともう1つ、自分の考えをあまりにも押しつけすぎて「独親」になってしまう人も同じ。
自分の子供が幸せになれるのか不安で不安でしょうがないから、過剰に口を出しすぎてしまう。
でも自分が不安に思ってること自体に気づいてないので、我が子が幸せになれないのは(ホントはなってる)本人の出来が悪いからだと思い込んでしまう。

自分の不安を他人のせいにして、自分では何もしようとしない
行動を起こすより何もしない方が楽ですからね。

しかもそれらを指摘すると「つい考えてしまうものはしょうがないじゃん」とか言い出すんです。
自分で勝手に悪い方に考えておいて、しかもそれを人のせいにするのを「しょうがない」とか言うんですよ。
だったら俺がおまえをつい殴ってもしょうがないんだな? と強く言いたい。
「だって悪く思っちゃうんだもん」が理由として通じるなら、「だって殴りたかったんだもん」が理由として通じなければ不公平です。

そうじゃなくて、もっとちゃんと考えてみましょう。
「日本人がそういう人種に進化したのには、ちゃんと理由があるんじゃないか?」
ということをです。

・日本人が不安神経症なのは、スキルを高めるため

もうね、まわりくどい言い方してもしょうがないんでズバリ言いますけど、日本人が生まれついて不安神経症なのは、至高を目指すためです。

日本という国は、地球上の他の地域に比べて気候が安定している場所にあるうえに、いかんせん国土が狭いです。
ですから、特定の業界ばかりが過当競争に陥りやすいという、そういう土地柄なんです。
なので過当競争に打ち勝つ力が必要だったのです。
(ほかにも「地震が多いから」とかそういう理由もありますが、あくまでたくさんある理由の1つとして)

そのために日本人が歴史の中で獲得した気質が、「わざと不安神経症を患う」というもの。
現代人にしてみれば迷惑な話ですが、日本人は長い歴史の中でそういう選択をした民族なのです。

どんなに努力しても不安で不安でしょうがないから、どんどん努力して至高の存在を目指そうとする。
それが日本人の本来あるべき姿です。

もともとそういう遺伝子を持っているのですから、小さなことにいちいちウジウジしてしまうのはしょうがないです。
遺伝子は自分の意志では変えられません。
しょうがないです。

ですからまずは、自分の中の不安を無尽蔵に増長させるのをやめましょう。
不安に思っている自分がいる事実を認め、それがただの個人的な妄想であることを認めましょう。

そして「不安に思っている状態」を練習に生かしましょう
「そんなに不安なら、不安でなくなるまで努力すればいい」のです。

ただし、不安だからという理由で永久に頑張り続けたら、単に体を壊して社畜として死ぬだけ。
不安はあくまであなた自身の個人的な妄想です。
だから「疲れたら休んでもいい」んです。

夜暗くなったら帰って寝ていいんです。
褒められたら喜んでもいいんです。
自分を不当に扱う人の元からはバックレてもいいんです。
幸せになってもいいんです。

そう考えることで日本人は、「ただの不安がり」から「努力家」にクラスチェンジできるのです。
今、なにか不安を抱えている人は、少し考えてみてください。

その不安、ホントに根拠があるんですか?

夢のために本当に必要なのは「ミッション」

世の中の、「何かに本気で取り組んでいる人」が絶対にやっていることがあります。
それは「自分にミッションを設定し、自分で遂行しようとしている」ということです。

そんなの人それぞれだろうと言いたい人もいそうですが、こればっかりは100%間違いありません。
絵の練習に限らず何でもそうですが、「何かに本気の人」とは、つまり「自分に対して常に何かしらのミッションを設定している人」のことを言うのです。
(ミッションという言い方自体はしない人の方が多いでしょうが、ミッションに相当する行為は絶対にやっています)

本気モードへの入り方の回でもミッションという言葉は使いましたが、もしそちらを読まれていれば、意味が分からないと感じた人も多かったかもしれません。
その回では、何か達成したい目標があるのなら、その達成のための具体的な行動を起こさなければいけないという話をしました。
まぁ、そこまではその通りですよね。
何かしたいことがあるなら自分でやるしかありません。ご飯が食べたいなら箸を自分で持つしかないし、部屋が汚いのが気になるなら自分で掃除するしかありません。
絵が上手になりたいなら練習するしかないのです。

かの聖闘士星矢は「どんな夢も信じれば叶う」と歌いましたが、ただ信じただけで自分では何もせず叶った夢なんて、どうせ大したもんじゃないです。
チョコボールから銀のエンジェル出たとか、せいぜいそんなモンです。(←しかも2個目が出ない)

目標があるなら、そのために「行動」を起こさないと!

で、その具体的に行うべき行動とというのが何かということで、「ミッションを設定すべし」と書いたのでしたが、肝心のミッションとは何なのかという説明は書いてなかったと思います。
まぁ、赤字の太字で書いたくせに結論は「人に聞け」でしたからね。
そりゃなんも分からんわ。ってなもんで、今回はそれを説明します。

この「ミッション」というのは、あなたが自分自身の人生の勝ち組になっていくうえで絶対に必要なものなので、ぜひ覚えていただきたいと思います。

1. ミッションの考え方

簡単にいうと、ようするに「目標」です。
ですが日本語の「目標」という言葉は意味が曖昧で、「生きていくうえでのガイドライン」みたいな弱い意味だったり、逆に「命を賭けてやりとげるべきもの」みたいな超重い意味だったり、人によって解釈が異なってしまいます。

それに対して「ミッション」は、やることがはっきりしています。

1. 「求められる成果」と「期限」が具体的に決まっている
2. 失敗は許されないものの、再チャレンジして成功すれば、先の失敗はなかったことにしていい
3. 今の自分には無理だと分かってる状態からスタートする
4. 自分が問題ないと思った方法なら、どんな手段を用いてもよい

上記4つの条件を満たしたものがミッションです。

たとえば、あなたは絵師ですので、初心者のうちは「上手になること」を目標としているはずです。
ですがただ「上手になる」が目標では、あまりにも漠然としすぎています。
どういう基準で上手になったということにするのか、それはいつまでに達成するのか、という基準が決まっていないからです。

ですから、ミッションを設定するうえでは、成果は具体的に設定します。
何をするかは基本的には自分の必要性に応じて自分で設定するものですが、最初のうちは自分自身に何が必要かなど分からないでしょうから、やりたいと感じた順にやるということでいいと思います。

なぜなら何度失敗してでも絶対に成功させると、長期間に渡って自分に言い聞かせ続けなければいけないのです。
そんなの、自分がやりたいと感じたことでないと、なかなかできるものではありません。

イラストの基礎を学んでいる段階の人におすすめのミッションとしては、以下のようなものがあります。

・基礎デッサン力を身に着ける

成果:模写100枚
期限:1~3ヶ月

・俯瞰やあおりを含め、どんな方向から見た人間でも描けるようになる

成果:同一人物を前後左右上下・計10方向から見た絵を描き、友人3人以上に全て同じキャラと認めてもらう
期限:4~6ヶ月

・パースを理解する

成果:遠近感のキチンと整った絵を描く
期限:2~3ヶ月

こんな感じで、自分の中で「できた」と判断するのではなく、他人に見せられる状態を作り出すことを「達成」と定義するのが大事です。
(必ずしも実際に見せる必要まではありませんが、それでもです)

また期限の方は、「この日数では絶対ではないけど多分無理」くらいがちょうどいいです。
期限があまりにも長くゆるゆるでは成長が望めないし、かといって物理的に不可能な時間設定だと、できないものはできないからです。
なので、「た、多分無理なんじゃないかなー(汗」くらいがいいでしょう。
絶対ではないと感じているのなら、それは自分ならできると無意識に感じているラインということです。

もちろん、「やんなきゃ」って決まってると、内容自体は好きなことであっても、「やらなきゃいけないと決まってる」ことそれ自体がストレスになることもあります。
やらなきゃいけないと分かってるからこそやりたくない、勉強しなさいと怒られると逆にやりたくなくなる、みたいな気持ちというか。

ですがそれは慣れましょう
なぜなら、他人にいわれて仕方なくやるわけじゃないからです。
他人に言われてイヤイヤやるような類のことならともかく、自分でやりたいと思って決めたことを自分で実行できないのは問題です。
それは自分に甘いとしか言いようがありません。
自分に甘えずにすむようにするために、具体的な成果と具体的な期限を決めて、しかも「失敗してもやり直してよい」というルールまで作ったのです。
そこまでやってできないのは、「本当はやりたいと思っていない」せいかもしれません。

とはいえ、やり方が分からなくて行き詰ることならあるかもしれません。
どうしたらいいか分からなくなって行き詰るのは、自分に甘いとはいいません。

なにせ、ミッションというのは「できないと分かってることをあえてやる」ことを指す言葉ですから、自分の中の常識的な方法論だけでは解決できないに決まってます。
そんなときは、やり方の書かれたウェブサイトや本を探すか、または知ってそうな人を探します。
どうしても見つからなければ、やり方の調べ方をまず調べます。

それから、ミッションは「できないと分かってることをやる」ことなので、ときには不相応にあまりにも難しすぎたことに、1回やってみてから気づいたりもします。
イラストの世界では、「ちょっとしたコツさえつかめば、とても難しい絵でも簡単に描ける」と信じてる初心者がなぜかとても多いので、実際にやってみないと難易度が分からないという人も多いでしょう。

そんなときは期限を延ばすしかないのですが、単純に期限だけ延ばしていたのでは、いつまでたってもミッションが終わりません。
やろうとしているミッションが難しすぎた場合には、ミッションをクリアするための前段階のミッション(プリミッション)を作るといいです。
たとえばパースを3ヶ月で理解するのがどうしても難しければ、「パースの本を○冊読む」というプリミッションを差し込むという具合です。
難しすぎて無理だからといって全然違うミッションに浮気するのは、(プリミッションのプリミッションのプリミッションが必要になった、みたいなキリがない状況等の)どうしてもやむをえない事情でもないかぎりよくありません。

2. 実際にミッションを決めてみる

さて、ミッションについて理解したところで、実際に設定してみましょう。
善は急げです。たった今から決めてしまいましょう。
今すぐさっそくサクッとズバリ決めましょう!
別に今すぐ何か決めたいとか思ってなかった人は残念ですが、この記事を読んでしまったのが運の尽きです。
決めてください。

もしくは、「ミッションを決定する」というプリミッションを1~2日程度の期限でやってもいいかもしれません。
あるいは優秀な人なら、実は自分がすでにミッションらしきことにチャレンジしていることに気づくこともあるかもしれません。その場合、ミッションの内容をいつでも自分に言い聞かせられるよう、言葉にできる状態にしておきましょう。

何もやってない人は今決めるのですが、最初のうちはやりたいと感じたことをミッションにするわけですから、あなたも絵師である以上やりたいことはあるはずで、それをミッションにすればいいのです。
前節で書いたミッション例以外にも、

・ルイズたんを俺の嫁にする

→ 一番好きなキャラをいつでも完璧に描けるようになる

・漫画を完成させる

→ クオリティは低くてもいいので、とにかく短編漫画を1本完成させる

・「かわいい」(or「かっこいい」)を理解する

→ 自分の絵を、家族や友人の何人かに「誰が見てもかわいい(かっこいい)」と認めさせる

このあたりが定番ではないかと思います。
それから、人間のデッサンができなくて悩んでる人が、プリミッションとして「靴」をデッサンできるように練習するという話もよく聞きます。


ゲームのRPGにおいて、エンディングまで最短時間でいく方法は、プレイ時間の全てを「ボス戦」と「その準備」に使うことです。
イラストの練習でもそれは一緒です。

ボス級のミッションを効率的にこなしていけば、上級者になれるまでの日数はそれだけ少なくなっていくはずです。

本気モードへの入り方

今回もまた、色んな人に鼻で笑われそうな話をします。
「本気になる方法」です。

世の中でよく、「本気になることくらい誰でもできるし、本気になれば何でもできる」って言いますよね。
個人的には、それを信条としている人に「本気になるってどういうことですか?」って一度聞いてみたいところです。

多くの人は、この質問に取り留めのある回答をすることすらできないと思っています。
もちろん実際に何かに本気で取り組んでいる人なら何かしらの答えは持っているのでしょうが、とはいえそういう人達でも、ちゃんと説明できる人はそんなに多くないでしょう。

だから多くの人がただ紋切り型に「本気になれ。本気になることくらい誰だってできる」と叫ぶだけ叫んで、その方法論までは子供達に伝えようとしないし、だから言われた方も「自分が本気になれないのは素質がないからだ」とか「人間としてダメだからだ」とか変な勘違いをしてしまうのです。

もしあなたが欠片でもそう思っているのなら、違います。そうじゃないです。
今のあなたが本気になり切れないのは、「本気モードへの入り方」を知識として知らないからです。

1. 「本気になる」とはどういうことなのか

辞書で「本気」という言葉を調べると「冗談ではないという気持ち」「真剣である状態」などと出てきます。
でも、世の中の多くの人は、この言葉を本当にこういう意味で使ってるんでしょうか?

本気で何かに取り組んで成果を出すためには、このような手順を踏まなきゃダメなんじゃないですか?
と、俺は強く思うわけです。

1. 最終目標を実感し、自分自身の身の上のことと認識する
2. 最終目標からミッションを設定する
3. ミッションを遂行するにあたっての作戦を立てる
4. 作戦を実行するにあたっての問題点をリストアップする
5. 上記 4. の問題を解決するための方法を調べる方法を調べる
6. 上記 5. で調査した方法に基づいて問題解決の方法論を探す
7. 探し出した問題解決の方法論を実施する
8. すべての問題が解決したあと、3. の作戦を実施する

「本気になれば何でもできる」ということは、上記の 1. ~ 7. 全てを、「真剣になりさえすれば人類誰だって実行できる」と言ってるのと同じ意味になるのです。
だからこそ、「だったらおまえは真剣になりさえすれば米軍全軍と単騎で戦争できるんだな?」と聞きたいわけですよ。

だってそうですよね?
「真剣な気持ちを持つ」だけで何でもできるのなら、理屈の上では少年が1人で米軍を滅ぼすことだって、現実にできなければおかしいわけですからね。

実際には、真剣になれば誰でもできるのは 1. 7. 8. の3つだけです。
他は「方法論を知らなければ実行できない」ものばかりです。
だから、夢をうまく追いかけられない人の多くは、1. のあと、2. ~ 6. を全てすっ飛ばしていきなり 7. 8. をやろうとし、トンチンカンなことになってしまうのです。

で、そういう空回りをしている子供を見て、また大人は「青春には遠回りがつきもの」とか変なことを言うわけですよ。
世の中には空回りしすぎて人生挫折したりする子もいるんだから、そういう無責任な物言いは控えてほしいものです。

2. 本気になったらとりあえずやるべきこと

そういうわけで、2. ~ 6. の具体的な方法論を説明していこうと思います。
とはいえ、詳しく書くと長くなるので詳細はブログ内で追々語っていきますが、さしあたってここでは、一般に多くの人が 2. ~ 6. を行うためにやっていることを概略的にだけ書いておきたいと思います。

2. 最終目標から、ミッションを設定する

→ 最終目標の達成のために、先輩や過去の偉人がどのようなことをしたか調べる
→ そういう本を読むか、または先輩や周囲の大人に聞く、またはQAサイトなどで質問する

3. ミッションを遂行するにあたっての作戦を立てる

→ ミッションの達成のために、今やるべきことをリストアップする
→ または「どんなことをすればいいか」を先輩や周囲の大人に聞く、またはQAサイトなどで質問する

4. 作戦を実行するにあたっての問題点をリストアップする

→ やってみる前に考えられる問題点をリストアップする
→ 考えられる問題点を先輩や周囲の大人に聞く、またはQAサイトなどで質問する
→ または実際にやってみて、問題点をあぶりだす

5. 上記 4. の問題を解決するための方法を調べる方法を調べる

→ 調べる方法を自分が知っているかを考えてみる
→ 知らなければ、先輩や周囲の大人に聞く、またはQAサイトなどで質問する

6. 上記 5. で調査した方法に基づいて問題解決の方法論を探す

→ 問題点を解決する方法を自分が知っているかを考える
→ 知らなければ、先輩や周囲の大人に聞く、またはQAサイトなどで質問する

こんな感じです。
このように書くと知らなくても何となくできそうな気もしますが、実際世の中のほとんどの学生さん達はこれらのことがほぼできていいません。
仮にできても、段取りが非常に悪い子が多いです。
特に「長期目標はあるのに、そのためのミッションがないという子がすごく多いです。
予備知識もないくせに、調べもせずに「やり方はそのうち思いつく」となぜか信じている子もいます。

誰にも何も言われなくても上記のような行動を全て正しく実行でできる子は、本当にほんの一握りです。

ですが上記のことは、知ってさえいれば誰でもできることばかりです。
要は、「やりたいことがあるのなら、それはどうすればいいか人に聞く」という、ただそれだけのことだからです。

人に聞く場合には、なるだけ「分かってそうな人」を探すことも重要です。
もしそういう人が周りにいないなら、QAサイトで相談してみましょう。
または、本で調べてもいいのです。


とはいえ、通常多くの場合は、考え出すと面倒臭くなって、一瞬なりとも嫌になってしまうことでしょう。
実際、絵を描くことに本気になると、本当に色んなことに何年にもわたって取り組まなければいけません。
調べても調べても分からないことだってあります。
誰にも分からないと分かってて調べなきゃいけないこともあります。
運よく分かる人に出会えても、その人の説明を自分が理解できないというパターンもあります。

でも、それでもやりとげなければいけません。
あきらめてはいけません。
絶望など厳禁です。
なぜなら本気だからです。

つまり「本気になる」という意味の本当の意味は、「やるっきゃないとあきらめる」ということなのです。
そこんとこは、今のうちにあきらめておきましょう。
ぶっちゃけそれしかないです。