鉛筆を手に取るよりも手前の段階での作業

絵を描こうと思い立ち、ノートを開き、ペンケースから鉛筆を手に取ってから、ふと手が止まることがあります。
鉛筆を手に取ったからには何か描きたいイメージが必ずあるはずで、ネタすらないのに鉛筆を握るわけが絶対にないんですけど、それでも描けないことがあるんです。

そんなとき頭の中はどなってるんかっちゅーと、ようするに「イメージが構図になってない」のですね。
絵が描きたいと思っているのに、頭の中のイメージが絵じゃないんです。
だから描けないんです。

ラクガキをしようと思い立った瞬間に思いついたアイデアを、ファーストイメージ(または人によってフラッシュイメージ、インプレッション、もしくは単に「来た」「天使」などとも)と呼びますが、これは通常、すぐに描きはじめられるほどには明確でない場合が多いです。
はっきり決まってるのは「主人公の顔だけ」とか「景色の一部だけ」とか、ひどいときには「雰囲気だけ」「気持ちだけ」なんてこともあります。
とりわけ文章系の趣味から転向してきた絵師なんかだと、ファーストイメージが小説の体裁をとっていることも多いです。

ですから、そんなもんをいきなり絵にしようって方がそもそも間違いなわけです。
というわけで今回は、ファーストイメージを構図設計に落とすまでに、どういう順序で何を発想すればいいのか、という話。

1. プレミスに落とす

まずファーストイメージが浮かんだら真っ先にやるべきなのは、それをプレミスに落としこむ作業です。
プレミスとは前提という意味の英単語で、ようするに「自分は何がしたいの?」ということです。

通常、プレミスは「5W1H」からなる1文です。
たとえば、「妖精の女の子が明るい草原を散歩している」「暮れなずむ未来の空港から、SFチックな戦闘機が発進しようとしている」などです。
2文はいりません。必ず1文です。

もしプレミスが2文以上になってしまう場合、それはファーストイメージの段階ですでに余計な肉が付きすぎているためです。
つまり一番描きたいものは何なのか、優先順位がはっきりしていないので、その場合は1文になるまでそぎ落とすことが重要です。
(ただし余計な肉もちゃんとあとで使います。決して捨てないでください)

また、ファーストイメージが、プレミスに落とせないほど曖昧なこともあります。
イメージそこそこしっかりしていれば文章は自然に浮かぶはずですが、それすら浮かばないという場合です。
そういうときは、自分のネタ帳をひっくり返すとか、でなければネタサイトで検索するとかして、自分が何を描きたいと思っているのかをとにかく特定します。

プレミスが決まらないことには、以降の作業はどうしようもありません。
自分でも何がしたいのかよく分からないまま作品作りをしたところで、出来上がる作品は絶対によく分からないものにしかなりません。
だがそこがいいという人は好きにすればいいですケドモ。

2. コンセプトイメージをまとめる

プレミスさえ決まってしまえば、初心者とかは割と勢いだけで絵が描けてしまうことも多いです。
ですが中・上級者になってくると、だんだん描いてる途中で「ふと手が止まる」ことが頻繁に起こるようになります。
なぜなら、中級以上の人は初心者よりも失敗した経験が多く、「ホントにこれでいいのかな?」と立ち止まってしまうからです。

プレミスはあくまで「自分が何をしたいのか」であり、つまり個人的で自分勝手な妄想です。
だから「自分勝手な妄想じゃダメだ」と分かっている人ほど手が止まるんです。

そんなときは、プレミスを他人が見ても分かるように表現するには、という設計に置き換える必要になります。
それをコンセプトイメージといいます。

プロなんかは、パッと見で「たしかにこれならヒットするわ」と思えるようなかなり万全なコンセプトを作成します。
そうしないと企画会議に通らないからです。(当たり前)
アマチュアの場合、企画会議は脳内で個人的にやっていただければいいですが、少なくとも途中で手が止まらない程度の計画性が必要です。
ご利用的は計画的にです。

コンセプトイメージは通常、以下のような情報の集まりです。

1. プレミス

→ そもそも何がやりたいのか

2. 全体的な作風

→ ジャンル設定

→ 雰囲気・タッチ(ライトとかダークとか。色彩設計を含むことも)

→ 誰向きの作品を作るのか(友達? Twitterのフォロワーさん? pixivの目の肥えた人? コミケのお客さん?)

3. アウトライン(ストーリーイラストの場合)

→ ストーリーの教訓

→ 世界観

→ 人物設計・バックストーリーなどなど

→ プレミスからそぎ落とした肉

これくらいあればだいたい大丈夫です。

通常、多くの人が行き詰まりやすいのは「3.」のアウトラインの部分だと思います。
ですが最初のうちはそんなに深く考えなくても、1~2行くらいの状況説明文があれば十分です。
初心者のうちはあまり無理に深掘りをせず、さくっと構図設計に入った方がいいです。
できないものを無理してやっても、考えすぎて描けなくなるだけで意味がありません。

ですが経験を積めば積むほど、そこそこ設定が深くないと完成品が安っぽくなることに徐々に気づくきます。
最終的には、イラスト1枚描くにも、短編マンガ1本分くらいの設定が欲しいなと思うようになると思います。
それから「教訓」の部分についても、ストーリーテリングの基本としては本来必要ないものなのですが、世の中にはストーリーに教訓がないと「何が言いたいのかよく分からない」と感じる人も多いので、読者に対する親切心ということで一応入れておいた方がいいです。

で、設定をざっくり決めて、それをさらに深掘りしていくわけです。
深掘りのやり方は人それぞれですが、個人的にいい感じと思った方法を紹介します。

ちなみに当サイトの他のコラムでは、コンセプトイメージのことを「テーマ」と呼んでいます。
ですがテーマという言葉は、ケースバイケースで「プレミス」単体を意味したり、「コンセプトイメージ全体」を指したり、または「ストーリーの教訓」の部分のことだったりと意味が割と安定しない言葉です。人によっては「先生から与えられた課題」とか「モチーフ」という意味だったりもします。
なので最近は自分ではあまり使わないようにしています。
他のコラムを後で読むと混乱するかもしれませんが、そのときはすいません。。。

3. 設定の深掘りをする

・1人連想ゲーム法

まずは、モチーフ素材となるアイデアを、全く何もないところから捻出します。
モチーフはキャラクターデザインや世界観設計など、様々なアイデアの素にするものですから、前項で作ったアウトラインの規模が大きければ大きいほどそれなりに数が必要になります。
なのでいくつか考案しておくに越したことはありません。

ゼロからアイデアを生み出す方法としてはブレインストーミングが有名ですが、もしあなたがボッチであればこの方法は使えません。
ブレインストーミングはあくまで大人数で行うことを前提とした方法論ですし、紙や場所を大量に必要とします。

そんなときは、効率は少し悪くなりますが「1人連想ゲーム」が使えます。
やり方は簡単で、コンセプトイメージに登場する言葉の中から適当に1つ選び、そこから連想される言葉を次々に思い浮かべていって、気に入ったキーワードが登場するまでそれを続けるだけです。
通常、50回ほど連想すれば、全然関係ない全く新しい単語になります。

その際、紙にメモするのは気に入ったキーワードだけで構いません。
あまり手ばかり動かしていると、そのことに気力を取られて発想力を十分に発揮できないからです。
(手を動かしながらの方が頭がすっきりする人は、書きながらの方がいいです)

この方法であればボッチでも大丈夫です! よかったですね!
トイレでご飯を食べながらでもできますよ!
まぁ、少し臭いけど。

・キャラクターインタビュー法

モチーフが決まったら、それを使ってストーリーアウトラインを広げます。

ただしスチルイラストの場合はそんなに凝ったものでなくても、「女の子が日課の散歩をしている話」みたいなシンプルなアウトラインで十分です。
起承転結やオチも、必ずしもいりません。
ですが、少なくともイラストに登場する世界・人物・前後の出来事については、マンガと同じような設定が必要になります。
(イメージが膨らまないと感じた場合は、クライマックスシーンのあるちゃんとした起承転結を作った方が楽な場合もあります)

その際によく利用とされるのが「この子はどういう子だろうと想像する」という方法です。
生まれは? 好きな食べ物は? 出身地は? 両親の仕事は? など、主人公にどのような設定をかぶせるのかを質問形式で作っていくのです。

この方法はキャラクターインタビュー法といって、その主人公がどういう人物なのかを、実際に本人に直接聞いてしまうやり方です。
あまり脳みそに負担をかけずに、自然に湧き出るアイデアがそのまま使えるメリットがあります。

・もしもクエスチョン法

キャラクターインタビュー法は直感的に分かりやすい方法ですが、質問をあらかじめ決めておかなければならず、しかも場合によっては、キャラクターがインタビューに答えてくれる程度には勝手に動いてくれる必要があります。
ですから、「キャラが頭の中で勝手に動く」という感覚がない人にはできないことがあります。
できあがる設定も、「どこかで聞いたことのある」ものになりがちで、なので主人公格のキャラクターを完全ド新規で起こす場合はやや面倒です。

そういう場合は、「もしもクエスチョン法」という方法が使えます。
設定が完成するまでのスピードでは劣るものの、こちらの方がどちらかというと汎用的で応用範囲は広くなります。

やり方はまず、よくあるテンプレでいいので、とにかく人物を作ります。
その際、キャラクターは必ずしも勝手に動いてくれる状態でなくてもかまいません。

あるていどまで作ったキャラクターに、「もしこのキャラが女(男)だったら?」「職業が会計士でなく殺し屋だったら?」「実は神の末裔だったら?」「実はすでに死んでいる?」「胸に七つの傷がなかったら?」などなど、作った設定をどんどんひっくり返していくんです。
質問は場当たり的にその場で用意すればいいので、あらかじめ考えておく必要はありません。
色んなパターンを考えて、最終的に気に入ったアイデアだけを使えばいいのです。

そしてそこそこキャラが固まったら、改めてインタビュー法でさらに膨らませることもできます。
インタビュー法で膨らませた設定を、再度もしもクエスチョン法で膨らませてもいいのです。

4. 構図におこす

様々な設定を作ったら、それをいよいよ構図に起こします。
その際に注意することは、
・優先度の高いものがより目立つ設計になっているか
・「せっかく作ったから」といって全部のアイデアを無理やり詰め込もうとしていないか

の2つくらいです。
美術とは、本来自由の類似語であり、作者は思いの赴くままに構図設計していいのです。

ですが、あまりに自由すぎて手が止まるようであれば、そのときはサムネイルを作った方がいいでしょう。
構図設計っつってもいろんなパターンがあり、設定があれば必然的に決まるというものでもないからです。
サムネイルは「親指の爪」という意味の言葉ですが、ようするに「小さなイラスト」ということです。

3センチ×2センチとか、まぁ大きさは適当でいいんですけど、描きやすいサイズの小さな枠に試しに構図設計してみるんです。
この方法であれば、いくつものバージョンを簡単にポイポイっと作ることもできます。

プロ絵師の中には「ラフ50枚とか無茶ブリだろ!」とクライアントに怒る人がいますが、そういうときはサムネイルでいいんです。
「とりあえず試しに」描くのなら本格的なものなんかいりません。
ネタどっさり持ち込んでも、New Type Version の打ち込みに放課後まで待たなくていいんです。
1万年と2千年後まで愛してる必要もありません。5秒で大丈夫です。

イメージをまとめたいときや、たくさんのアイデアを並べて比較検討したいときは、とにかくサムネイルです!
1にサムネイル、2にサムネイル。3、4がなくて5にサムネイル!
(3と4はないです。あってもいいけどどうせサムネイルです)

またサムネイルは、ポーズがうまく決まらないというときにも使えます。
少しずつ動くパラパラマンガ風のサムネイルをいくつも描いて、一番かっこいいと思うコマを採用すればいいからです。


「できない、できない」と1人で勝手に悩む人の多くは、描く手前で「考える作業」が必要なのだということを軽視しがちな傾向があります。

ですが、答えというのは考えなければ浮かばないものなのです。
それは数学の問題を解くのに数式が必要なのと同じ理屈で、数式は覚えてないけど計算はしたいとか、そんなの絶対無理です。
構図が浮かばないなら、浮かぶような設計方法を頭に入れるしかありません。

そういうのって、最終的には自分なりの方法を見つけていく必要がありますが、当コラムの内容がその役に少しでも立てればと思います。

異様にレベルアップ早いヤツなんなの?

絵のレベルアップが異様に早い人がいます。
そういう人は周囲から一目置かれながらも、「素質キラー」だとか「才能つぶし」とか言われたりします。
周囲の人が、「あいつみたいに巧くは描けないから」ってみんなあきらめてしまうからです。

俺としては、「人より巧く描けない」ことがあきらめる理由になるのなら、早めに脱落できてよかったじゃんって思いますけどね。
プロになったら周りはみんな神がかった絵を描く連中ばっかなんですから、どうせあきらめるなら早めにあきらめておいた方が時間を無駄にせずに済みます。
とはいえ脱落したくない人達にとっても、素質キラーの連中がどういう思考回路をしてるのかは、「よく分からなくて気持ち悪い」という印象があるんじゃないかと思います。
もしくはできるものなら真似したい、というのも心情でしょう。

言ってしまうと、初心者の段階からパッと見いい絵を描く奴らは、ようするに注目されやすい絵を狙って描いてるんです。
「このように描けば注目されやすいはず」というデータがすでに頭の中にあって、それに基づいて絵を描いているから、下手ながらも目を引く絵が描けたり、知らないはずの高等テクニックに自力でたどり着いたりするわけです。

そういった「どうすれば人の注目が得られるか」を考えるにはどうしたらいいかってぇと、言葉にすれば至極単純なんです。
いわゆる共感力と呼ばれる力を鍛えればいいんです。

そこを何とかすることで、自分の絵の欠点を客観的に探したり自分自身の課題を自分で見つけ出したりし、結果、高い評価を得やすい絵を狙って描けるようになります。
逆にこの能力が低いと、自分の絵の評価を自分ではできないし、極端な場合は「絵の先生が何を言ってるのか」も理解できません。

今回はその訓練法を説明します。

1. そもそも共感力とは何か

共感力とは、読んで字の如く、身の回りの人々と気持ちを共有する力のことです。
周囲の人達の気持ちを察したり、場の空気を読んだり、それにより自分を客観的に観察したり、といった使い方をします。

ただしこの共感力というやつは、「そもそもできっこない」と思ってる人が非常に多い能力でもあります。
たとえば人目ばかり気にして何もできない人、「どいつもこいつも分かってくれない」といつも思ってる人、「人は人・自分は自分」とあまりにも割り切りすぎている人、ちょっと注意されただけで過剰反応して何でも抱え込んでふさぎ込む人。
こうした人達は、人間関係に問題が生じる原因が、周囲の人達(もしくは自分)の性格が原因と捉える傾向があります。

ですが違います。
周囲の人達の気持ちをうまく察せてないことが、人間関係に問題が起こる原因です。

なんで人の気持ちを察せないのかというと、「人の気持ちを読むなんて物理的に不可能だ」と考えるからです。
この共感力という能力は、いわゆる「コミュ力」と呼ばれるスキルのサブスキルの1つですから、あきらめなくていいものを1人で勝手にあきらめてる人は非常に多いわけです。
(それから、「コミュ力が低いのはお互い様なのだから、自分だけが苦労しなきゃいけないのは嫌だ」と訓練から逃げる人もいます。そういう考え方の人は、だいたいコミュニティ内でのコミュ力が1人だけダントツに低かったりします)

ぶっちゃけて言うと共感力とは、自分がこうすれば、相手はこう反応する「だろう」という予想をする力のことです。

予想をする力ですから、人の気持ちをテレパシーで読み取る必要はありません。
幽体離脱能力もいらないし、スーパーサイヤ人やニュータイプに目覚める必要もありません。脳にF端子を刺さなくても、悪魔に転生して赤龍帝を襲名しなくてもいいんです。
そんなことしなくても、「あのとき自分がこうしたら、相手はこういう反応をした。だから今回もだろう」と予想をすることはできます。

自分に対する周囲のリアクションを、過去の経験に基づいて予想する力のことを共感力といいます。
そしてその的中率が高く、日常生活や仕事の様々な局面で幅広く応用できている状態を共感力が高い状態です。
逆に、予想はできていても外すことが多かったり、予想すること自体できない状態が共感力が低いということです。

日本人はこういった分野のことを理屈で考えるのが嫌いで、よく「気合いで何とかするしかない」という結論にもっていきたがりますが、例によって気合いではどうしようもないです。
共感力とは、「知ってればできるし、知らなければできない」人生テクニックに類することです。

2. 共感力を鍛えると絵が上手になる仕組み

なんで共感力を鍛えるといいかというと、シンプルに「他人の感想を推測しながら絵が描けるようになる」からです。

「もしこの絵を誰かに見せたら、その人はどんな感想をくれるだろう」と想像し、その人の気持ちになって自分の絵を見ることができるようになります。
だから、本来であれば何回も描きなおしや再提出が必要なはずの絵を、1~2回の手直しで描けるようになります。
人に聞かなくても他人からの感想を推測することができるようになるし、それによって現在の課題を自分1人で拾うことができるようになります。
限界はあるにしても、先生におんぶ抱っこの状態と比べれば雲泥の差です。

また美術以外の面でも、先生・親・上司から受けるかもしれない注意点を先回りして潰して良い評価を得たり、本当にセンスのいいオシャレができるようになったりします。
ようするに「器用な生き方をしてる人」がやってるようなことが、自分にもできるようになります。

共感力を鍛えれば、ありのままの自分を自然に出していけるようになるというわけです。
逆に言えば、ありのままで生きるには共感力が高い必要があり、共感力が低いのにありのままだと周りからはただのアホにしか見えないわけですが……。

3. 共感力の鍛え方

この能力の鍛え方としては、一般的な自己啓発本とかだと、ざっくり「がんばる」だとか「自分を好きになる」といったオブラート言葉に包んでありますが、もちろん単に気持ちだけあったってダメです。特に宇宙的なものと繋がっちゃったりするとかもってのほかで、そんなことしても絵は上手になりません。
人から自分がどう見られているかを知る努力をすることが大事です。
(それはときとして、「自分は周囲からの評判が実は凄く悪いんじゃないだろうか」という恐怖と戦うということでもあります。でも人気絵師になりたいなら、そこは乗り越えていただくしかありません。それか不人気な絵師になるか。がんばるかあきらめるか、選択肢は2つです)

具体的な訓練方法は、自分の見方を変えるのが第1歩ですから、やはり「鏡を見る練習」がもっともハードルが低いでしょう。
まず鏡の前に立ち、斜め上でも見てしばらくボーッとしながら、「これはテレビだ、これはテレビだ」と考えます。
で、テレビを見ているつもりでパッと鏡を見て、そのテレビの中に映った他人の顔を評価してみます。
「うだつのあがらねぇオッサンだな」とか「以外に悪くない顔だな」とか「裏で悪いことしてそうだな」等、自分の性格とは一致しない印象を受ければ成功です。
もしあなたが過去にそういうことを全くしたことがなければ、見慣れたはずの自分の顔にすら色んな発見があるはずです。
(ただし、実はこの鏡を見る練習は言うほど簡単ではありません。人間の脳は自分の顔を本能的に他人と区別する仕組みが備わっているためです。とはいえその仕組みは疲れているときは狂いやすいので、疲労困憊しているときは「あれ? こいつ誰? ああ、俺の顔か」ってなりやすいです。そういうときに自分の顔をよく見てみてください)

また、自分が描いたイラストについて「人に説明する」機会を設けるのも有用です。
他人に分かりやすく説明するためには、説明する相手のことをきちんと知った上ででなければ絶対にできません。
そもそもイラストというものが「何かを他人に分かりやすく説明するために描くもの」ですから、説明能力が高いことは絵師として必須条件なんです。

具体的な訓練方法は、ラクガキをした際に「なぜこの絵を描いたのか」という説明を考えることです。
ラクガキを描いた理由なんか、普通は「そんなんどうだっていいじゃん」で終わってしまうところですが、そこをあえて説明することで自分がどういう人間なのかを観察しやすくなります。

通常多くの場合、ただのラクガキは「描きたかったから描いた」くらいしかないと思います。
ですが実際には「なぜ描きたいと感じたのか」「なぜこの絵柄だったのか」という部分で、何か思ったところが必ずあるはずです。

俺個人の場合、絵を描きたくなるきっかけはいくつかあるのですが、よくあるのは「ジョークを思いついたとき、それをより面白くするためには、絵を見せるのが手っ取り早いと感じたから」です。
1時間くらいでパパッと描いてツイッターにアップする系統のイラストは、このパターンが多いです。

以下のイラストは、いつだったかツイッターにアップしたものです。
左に有能サラリーマン、右に巫女さんの絵が描かれています。

このイラストを思いついたのは仕事中で、近くの席の人が「見込み顧客」という言葉をたまたま使ったときでした。

それを耳にした際、俺の頭の中で言葉が「みこみこきゃく」とひらがなで脳内再生されたため、「言葉尻かわいいよなー」と思ったのです。
で、「みこみこきゃく」という言葉がかわいいことを人に分かってもらうためには、かわいい巫女さんの絵を添えるのがよいという結論に至ったわけです。
かつ「かわいい巫女さん」をよりかわいく見せるために、対比として「厳しい顔をしたサラリーマン」を描いた感じです。
完成品を見ればただの無意味なラクガキですが、描くまでの間に上記のようなことを足かけ1時間くらい推敲しています。

プロの中にも「この絵のテーマは何ですか?」と聞かれて、「社会に対する不満や情緒といったものを、メランコリックかつ情熱的に表現しました」なんて難しいことを言う画家がいますが、ああいうのも全然ダメです。
あれは難しいことを言って質問者をけむに巻いているだけです。
そういう下らないことを言うくらいだったら、小学生男子の「うんこ描くの楽しいじゃん! なんでいけないの?」という回答の方がまだ理解できます。

そうじゃなくて説明とは、「理解してもらうこと」ですから、相手が理解できないことを言ってはいけません
絵も一緒で、見せる相手が理解できない絵を描いてはいけません

そのためには、どこまで詳しく言えば(描けば)相手は理解してくれるかが、あらかじめ分かっている必要があります。
それには「自分が理解していること」「自分がまだ理解していないこと」「相手が理解していること」「相手が理解していないこと」の4つを全て把握することが必須ですから、そのために自分を理解する相手と意識を共有するといった能力が必要になってくるわけです。

ですが人間は(特に日本人は)自分程度の人間が知っていることは、よそ様は重々ご承知のはずというアホな謙虚心を持っていることがけっこう(というか、かなり)多く、常日頃からそういう前提でしゃべってしまっている人は多いです。
和を重んじる傾向があまりにも高すぎて「言わなくても分かるでしょ?」という意識がどうしても変えられない人も結構いて、言ってしまってから「なんで知らないんだよ、それくらい知ってろよ」ってなることは多いです。
それだけでなく、言った側が「それくらい知ってろよ」と思っているその内容自体が、本来相手が知らなくて当然のことだったり、ただの勘違い・思い込みであったり、あと「言ったはずだ・ちゃんと伝わったはずだ」と思い込んでるだけというパターンもあります。

それからもう1つ、常日頃から「あ、この表現の仕方(言い方、描き方)では通じないんだな」と思うクセをつけるのも重要です。
何か言葉やイラストで説明をしようとしたとき、相手が「え?」とキョトンとした場合に、共感力の低い人は「あ、こいつバカだわ」と思って説明を中断する傾向があります。
そうではなく、絵の意味や言葉の意味が通じなかったら、それは全部自分の表現が悪かったからだと考えるようにすることが、絵師としてとても大切です。(たとえ実際には本当に相手がバカだったからだとしても)
「通じなかった表現方法は2度と使わない」ことを繰り返すことで、1つずつ周囲を理解できるようになっていくのです。



共感力とは、「自分がこのように行動すれば(表現すれば)、相手はこう感じるだろう」と予想する能力のことです。
ですから最初のうちはどうしても、自分的には多分、こう描けばいいんじゃないかなと思うという想定でやることになります。
過去の経験が役立つなら役立てればいいですが、そういうのが何もないなら、想定が当たるまで何度でもトライし続けるしかありません。

「巧く描けない」ことがあきらめる理由になるのなら早めに脱落しておいた方がよい、というのそういうことです。
美術経験の足りない人がよい評価を得るには、まぐれ以外は絶対にありえないというわけです。(まぐれを引き寄せるのも能力のうちではあるものの、基本的にはってこと)

これはちょうど、当たりを引くまでくじを引き続ける行為によく似ています。
この「当たりを引くまでくじを引き続ける」ことを卑怯と称する人も中にはいますが、そもそもそうするしかないのだからどうしようもないんです。

その意味では、上手になるにはあきらめないことが一番大事という身も蓋もない話が、実は一番真理に近いということでもあります。

超王道・トーンを使った基本の塗り方

相変わらず「色使い」で悩む人は多いです。
とりあえず分からないなりに適当に塗ってみて、完成直後はそれなりに描けたように見えたけど、他人の絵と比較すると明らかにケバかったり。
そんなときちょっとイラッとするんだけど、どうしたらいいかは分からないからモヤモヤしてみたりするんです。

デッサン練習は最悪ラクガキでいいので、初級段階の練習くらいなら子供でもできます。
でも色使いの練習には「正しい色を選ぶ」という考える作業が必要なため、どうしたらいいか分からない人が多いです。
どちらかといえばデジタルでしか塗ったことがない人の方が、色で悩みやすいようです。

アナログの場合は使う絵の具の種類である程度タッチが決まってしまうのと、使える色数もお小遣いの金額で決まったりするため、実際に塗り始めてから悩むということはそんなにありません。
ですがお絵かきアプリとなると話が急にややこしくなり、たとえば「肌色」に相当する色だけでも物凄い数あります。
今試しに手持ちのアプリを立ち上げて確認してみたところ、自然なリアルタッチの場合に、人間の肌に使える色だけでも計算上2500色前後ありました。
これに特殊な環境光の場合や亜人の肌の場合なども加えれば、選択肢は数万色にのぼります。
そんなに選択肢があったら、そりゃあ悩むのも当たり前です。

にも関わらず、色について本当に何にも知らない人が最初にどうしたらいいのかは、世の中的に情報がそんなに多くありません。
てなわけで今回は、美しく塗りたい人が最初に行うべき勉強法の話。

まずはとにかく「色彩学」

答えから言ってしまうと、最初に色彩学の勉強をしてください。
「難しい知識なんかいらない。ちょっと軽くでいいんだよ」とか思ってるからダメなんです。

《美》とは、そんな簡単に作れるものではありません。
専門知識をガッツリ勉強してください。
このブログの読者はガチ勢のはずですが、楽をしたければどうぞご自由に脱落してください。
色彩学なくして、塗りを極めるなんて無理です。
(19世紀の色彩理論の発表前にも塗りを極めた画家はいましたが、昔は自然のものを自然色のままに仕上げる塗り方しかありませんでした。なので美しく塗るには、とにかく何十年でも練習するしかなかったのです。「美しく塗る」というスキルが簡単に手に入るようになったのは、ひとえに色彩学のおかげです)

また色彩学については、ネットで済ますよりも紙の本を買った方がいいです。
イラスト入門サイトの場合、「トーンの種類」と「カラーホイールの見方」という2点のみが断片的に軽く書かれていて、その具体的な使い方については気合いでやれで済ませてあるケースが非常に多いからです。

しかもそれらの記事の多くは、マンセルシステムやPCCSなどのアナログ向けカラー体系の説明であることが多く、初心者がデジタル塗りに応用するのは難しいです。
デジタルでない用途向けに作られた仕組みをデジタルに応用するには、それなりに根拠を学ぶ必要があります。
ですから、色彩学はちゃんとした本で勉強をした方がいいんです。
(ちなみに色彩学の本を買うときは、間違って「色彩心理学」の本を買わないように気をつけてください。美術絵画を美しく塗るための学問である「色彩学」と、色に対する人間の反応を科学する「色彩心理学」は別物です。色彩心理学の本には、絵の描き方の具体的な方法論の記述は基本ありません)

デジタル塗りの場合、「パステルタッチの絵を描くときは、色をパステルトーンに統一しましょう」という説明では、パステルタッチの絵が描けない子もいます。
これは「パステルトーンと呼べる色」だけでもデジタルの場合は数万色以上にもなり、これがアナログ向け体系の総色数の数倍にもなってしまうからです。

つまるところ、デジタル塗りは色数が多すぎて迷うんです。

だったらどうすればいいか。
簡単です。
使える色数が多すぎて迷うのなら、色数を制限するマイルールを作ってしまえばいいのです。

トーンオントーン・デジタル版

「トーン」とは、色の雰囲気のこと。
「ビビッドトーン」「パステルトーン」「ペールトーン」など、言葉くらいは聞いたことがあると思います。
日本色彩研究所というところが作ったもので、全部で12種類あります。
このトーンを決めてあげると、完成する絵の雰囲気がある程度決まる、というものです。

アナログ塗りのもっとも基本となる色選択法では、このトーンを利用した方法で、「トーンオントーン」というものを用います。
全ての色を同じトーンで統一することでイラスト全体の雰囲気を統一する、という塗り方です。

パステル調の絵が描きたければ、パステルカラーだけを使えばいい。
暗い雰囲気の場合はダークトーンだけを、オシャレな雰囲気ならペールトーンで統一とか。
実にシンプルな考え方です。

デジタルの場合でもこの考え方は使えますが、ただしデジタルは「パステルトーン」と呼べる色だけでも物凄くたくさんあるので、さらに絞り込まなければいけません。
そのためには「HSV」という方式を使います。

通常多くのお絵かきソフトは、HSV方式での色選択ができるようになっています。
(Windows標準のMSペイントの場合は「ESL」と表記されているなど、アプリによって違いはありますが、いちおー「HSV方式」がもっとも広く知れ渡った名前です)

H(色相)は色の種類で、赤・橙・黄・緑・水・青・紫などの色の種類を360分割したもの。
S(彩度)は色の鮮やかさで、数値が大きければ原色に近い鮮やかな色合いに、数値が低いと灰色じみた鈍い色合いになります。
V(明度)は色自体の白さや黒さを表す数値で、数値が高いと白っぽく、低いと黒っぽくなります。

詳しい話は専門の本を読んでもらうとして、ここでは
・彩度と明度が決まれば「トーン」が決まる
・さらに色相も決めれば色が確定する

という2点を覚えてください。

で、俺がおすすめするもっとも簡単なトーンオントーン塗りのやり方は、塗り始める前の段階で「S」と「V」を完全に固定してしまうことです。
つまり、「彩度と明度はいじってはいけない」というマイルールを作ってしまうわけです。
色の選択は「H」の調整のみで行う。
(「美しくないと感じた場合だけ多少融通を利かせてよい」くらいの追加ルールならあってもいいと思いますが、一般的な風景画やストーリーイラストの場合は、彩度や明度をコロコロいじる必要はそもそもないはずです)

「S」と「V」が固定されれば、色数は360色まで絞り込めます。「黄色」だけなら10色くらいしかありません。
「真っ白」と「真っ黒」はあらゆるトーンに調和する色なので例外としてもいいとして、それでも362色です。

この状態であれば色で迷うことはそんなにありません。

また、最初のS・Vの設定がよくないことにあとで気づいちゃった場合でも、調整することもできます。
調整はお絵かきソフトの「色相・彩度」という機能を使えばいいです。(クリスタの場合は「色相・彩度・明度」)

トーンオントーンで塗れない箇所は?

ただし、今回紹介した「SとVを固定する」方法にも欠点があります。
彩度・明度をいじっちゃいけないマイルールをあまりにも厳格に守りすぎてしまうと、影も付けられないし、主体と背景のトーンも同じになって主体が絵に溶けこんでしまいます。
また選択したトーンによっては、肌色に合致する色がなくて人間が描けないこともあるでしょう。
ですが、だからといって臨機応変で何とかしてるだけでは、今までの訳も分からず何となく塗ってる状況と何も変わりません。

だったらどうするかってぇと、SとVが固定されているがゆえに色を決められない箇所は「トーンイントーン」という色選択法を使います。
これは、トーンの中に別のトーンを混ぜる、という意味です。

絵の中にすでに使われている色と同じ色相の色は、トーンを変えても色の調和が崩れません。
下地に肌色でベタっと塗った箇所は、深みを出すためにグラデーションを使ってもちゃんと馴染むということです。

また、まだ絵の中に使われていない色相の色であっても、すでに使われている色相と調和する色は、トーンを変えても調和します。
たとえば絵の中に「赤」がすでに使われていれば、赤の調和色である「青」は、異なるトーンの色を使っても構わないわけです。
同じように、トーンの中に肌色が含まれていない場合には、肌色と合う色(たとえば赤や空色)をあらかじめ背景に使っておけば、人間が背景に浮足立ちません。
逆に赤と調和しづらい「青紫」や「黄緑」は、異なるトーンの色を無理やり使うと不自然になりやすくなります。

ちなみにここでいう「色が調和する」とは、単に「色同士の組み合わせが美しい」という意味です。
もし「色と色が合うとはどういうことか」がそもそも分からない人は、色彩調和理論というものを学べばいいです。色彩学の比較的中難度以上の本で触れられています。
ですが何となくでも思うところがあるなら、調和するかどうかを自分独自の感性で決めても構いません。
(ただし「あらゆる色同士は全て調和する」という考え方は持ってはダメです。それは純粋に間違いです。色は組み合わせによっては調和しないことがすでに証明されています)

なお一部、今回のコラムを見て「ようするに何色でも自由に使っていいんじゃん」と思う人もいるかもしれませんが、そうではありません。
絵には必ず基本となるトーン(ベーストーン)が1つあり、それが雰囲気を決定づけます。
ベーストーン以外の色は、あくまでも忙しくなりすぎない程度に使うのがポイントです。

また、ダークグレイッシュトーンのイラストの中に1ヶ所だけビビッドトーンを使う、みたいなあまりにも極端すぎる場合は、たとえトーンイントーンのルールに則って調和色同士で使う場合であっても話が全然別だったりもします。
そのへんは、どこまでなら許されるのか、プロの作品をよく観察することです。
(もちろんプロのイラストの中にも、教科書通りの凄く参考になるイラストや、邪道なテクニックを駆使したあまり参考にならないものまで色々あります。最初のうちは「パッと見すっきりしている」と感じるものを優先的に研究するといいでしょう)



少し慣れれば、「トーンオントーン」と「トーンイントーン」の組み合わせだけでも、とりあえず何とかなっちゃうことが分かってくると思います。
常日頃から配色で悩んでいる人は、この2つを使ってみてください。

悩みながら何となく塗ってきた期間が長い人は、多くがトーンオントーンっぽいテクニックを無意識に使っているはずです。
なので今後はそれを意識的にやるようにするだけで、テクニックはすぐ手に馴染むと思います。

「生まれつきの素質」を心理学的にちゃんと分析してみた

美術の世界では昔から、人間には「生まれつきの素質」なるものがあって、それを持って生まれた人でないと絵の練習をしても上手にはならないとされてきました。

幸いここ最近は下火になりつつある考え方ですが、まだまだ信じてる人は初心者を中心に多いです。
とりわけ一度は絵を志していながら道半ばであきらめた人は、かたくなに信じて疑わない傾向があります。

まぁ、練習してないのになぜか描ける子って、実際いるんですよね。
本当はがんばって練習してたのを、粋がって「何もしてない」とうそぶく子も世の中的にかなりいますが、そうではなく本当に練習してなくてそこそこ描けちゃう(描けているように見える絵を描く)子はたしかにいます。
そういった「練習をしていないのになぜかできる」系の能力のことを、当コラムでは「チートスキル」と呼ぶことにします。

今回は、それらがどういう仕組みによるものなのかの話をしたいと思います。

1. 動体視力が低い体質

まずこれ。
動体視力とは、素早く動く物を的確に目で追いかける能力のことです。

一般に動体視力は高いに越したことはないと思われていますが、絵師の場合は実は必ずしもそうでもありません。
なぜなら、動体視力が高い人は、物を詳細に観察する能力に劣るというトレードオフが存在するからです。
(人間の目にはパソコンでいう「フレームレート」と同じ概念があって、1秒間の処理フレーム数を増やすなら、画質設定は「最高品質」から「速度優先」に落とさざるをえないというワケ)

健全な目の普通の人は、たとえば猫を「見て」から、それが「猫であると認識する」まで0.1~0.3秒ほどです。
それに対して動体視力が低い人は、そんなに素早く物を認識することができません。
猫を見てから「あ、猫だ」と思うまでの間に、1秒もしくはそれ以上の時間がかかります。
でも時間がかかることによって逆にゆとりが生まれ、見た物についてゆっくり考えることができるんです。

動体視力が低い人は観察力に余裕があるため、いわゆる「特徴をとらえる力」と呼ばれるスキルが高い傾向があります。
特徴をとらえる力は、実在の人物のデフォルメを描いたり、アニメキャラを自分流にアレンジしたりする際に必要な能力です。
「クラスメートの似顔絵がやけに巧い人」などは、このスキルを持っている可能性があります。

ただし動体視力が元から高くても、意識して観察力を鍛えること自体は可能です。(当たり前)
訓練の方法でよく言われるのは、「1つの被写体を最低30秒は見る」というものです。
模写のときは、2~3秒見たくらいで分かった気になっていきなり描きはじめてはいけません。
30秒くらいちゃんと見て、細部の特徴をとらえ、「面白いな」とか「きれいだな」「かっこいいな」などと感じてからから描きはじめることが大事です。

2. 空間把握能力

見たものを「平面」としてではなく、「立体」として頭の中で再現する力です。
この能力が高いと、ある程度複雑な被写体であっても、前から見ただけで横から見た絵を描くといったことができます。
当サイトでは「立体感覚」と呼んでいるもので、いわゆる「見えないところも描く能力」に影響する、非常に重要な要素です。

一般に空間把握能力は後天的には習得できないとされていますが、実際にはそんなことはありません。
プロ絵師の多くが現に後天的に習得しています。(というより、習得しないと写実画が描けません)
またその習得も、「立体物のデッサンをする」「パースの勉強をする」「アタリをちゃんと描く」「デッサン人形はちゃんと活用する」といった基本的な練習だけでできます。

ただし覚えるのにとにかく時間が必要で、場合によっては5年10年かかる人もいます。
なので焦らずじっくり訓練することが重要です。

3. シンボル化能力の欠損障害

こちらも動体視力の件と同じく観察力に関するチートスキルです。

シンボル化とは、「被写体の形を簡略化して覚えることで、高速に認識処理を行う」という能力のことで、人が生まれつき持っているものです。
初心者は「本物を見ながらそっくりに描いてください」と言われていても、なぜか簡略化した記号のような絵を描くという不思議なことをします。
これは、複雑な形の物であっても頭の中では簡略化して認識しているからです。

ですが中には、このシンボル化の能力が生まれつき低い人もいます。
そういう人は、たとえば「あのビルはどんな形ですか?」と聞かれても、巧く「四角」と答えることができません。
「何となく適当に形をとらえる」ということができないので、よく見て、念には念を入れて確認してようやく「デコボコした形」と答えるしかないのです。
そこまで極端なケースはさすがに少ないですが、物の形を把握するのにやけに時間のかかる人は、探すと実はけっこういます。

シンボル化能力欠損のチートスキルを持っている人は、生まれたときからずっと「詳細に観察する」クセがついているため、初めての模写でいきなりそこそこのものを仕上げたりします。
彼らの観察力には、ちょっと聞きかじった程度の初心者では絶対にかないません。
なので小中学生くらいの子だと、彼らのことをガチの本物の天才だと感じることもあるようです。
無論、実際にはそんなことはなく、要するに彼らは「観察力が鋭いだけ」です。

初心者時代は、とにかくていねいに描きさえすればいいので練習しなくても巧く描けるように見えますが、「美しい線を適切な位置に引く」「テーマに沿ってイメージを構図に落とす」となると話は全然別です。
何の努力もしなければ、やっぱり「ちょっと巧い初心者」でしかありません。
逆にもしあなたがこの能力を持っている気がするなら、このスキル単体でちゃんと描けるのは「デッサンまで」と考えるべきです。

4. 高い色彩感覚

普通の人よりも色彩感覚に優れ、より細かな輝度差・明度差を区別することができる人がいます。
一般には「人間の脳は小さな色差は判別できない」と思われがちですが、実際には脳は、意識的に認識できるものよりもはるかに小さな差をちゃんと識別しています。
ほとんどの人は「常識で考えて区別の必要なし」と判断し、その差を無視してしまうだけです。

色彩感覚の高い人は、この差を明確かつ意識的に捉えることができます。
ですから、適当に色を選んでギトギトの絵を描いてしまいがちな普通の初心者に対し、このチートスキルを持っている人は最初からそんなことしません。
もっとも適切な色をきちんと選択し、微妙な輝度・明度調整をすることができます。

この能力が高い人は「天才肌であり、他人には真似できない」と思われがちですが、実際にはもちろんそんなことはなく、色彩感覚は後天的な訓練で鍛えられます。
眼球内の視細胞の数で全てが決まってしまう、ということもありません。

訓練の方法はとても簡単で、「だいたい青ならみんな『青』でいいんだよ」などといういい加減な発想をやめるだけです。
青という色には、同じ青でも厳密には1190色(PCCS記法の場合)あり、かつその全てが美術的に異なる意味を持っています。
それを十把ひとからげに「青」と呼んでいたら、そりゃあ色彩感覚なんかいつまでたっても育つわけがないんです。

絵の具の色を混ぜるときも、いきなり1:1の比率で混ぜるのではなく、色味の変化を観察しながらごくわずかずつ調整します。
デジタルの場合は、パレット上で色をポイントしたあと、もっとも適した色になるまでH・S・V・R・G・Bのパラメーターを1ポイントずつ調節します。

5. 筋肉量の多い家系の生まれであること

直感的には指の筋肉量は後天的なものに感じられますが、現実には先天的な要素の影響を受けます。
生まれついて指の筋肉量が多い人は、一般に「手先の器用さ」と呼ばれる能力が伸びやすくなります。
厳密には、指先の繊細さを要求される作業を巧くこなせる可能性が高くなります。
握力が強ければ必然的に手先が器用なわけではありませんが、手先の器用さを鍛える訓練をするときは、あらかじめ握力を鍛えておいた方が有利です。

このチートスキルを持っている子の中には、特に「塗り」の分野ですさまじい仕上がりを見せ、人を圧倒的に魅了する絵を描く力を短期間で会得する子もいます。
スキル自体はほぼ最強で弱点と呼べるものはありません。

ただし、あくまで指先の筋肉の問題なので、普通に考えてあとから鍛えることができます。
たとえチートスキルとしては持っていなくても、「自分、不器用ですから」とかあきらめず積極的に鍛えていくことが大事です。
訓練方法としては、とにかく「ていねいに塗る」という意識を持つことが一番大事です。

(ちなみに筋肉が強いと筆圧が高くなると思っている人がいますが、これは間違いです。指の筋肉が足りないから、それを補うために力を入れてしまい、結果として筆圧が高くなるのです。筆圧の高い人の多くが、筆圧のコントロールを苦手とするのはそのためです)

6. 発想の助けとなる脳障害類

生まれつきの脳障害が絵を描くのに逆に役立ってしまうケースは 3. で紹介しましたが、他にもいくつか知られています。
有名なところではサヴァン症候群や完全記憶能力などがありますが、もっとライトな障害であっても、チートスキルになりえるものがあります。
たとえばアルペルガー症候群やパニック障害なんてのも、使いようでは絵を描く役に立つことがあります。

俺自身「何の前触れもなく突然混乱する」という脳障害があります。
卑下にも自慢にもならないごく軽いもので日常生活には何の不便もなく、病気と診断される可能性もほぼない軽いものですが、俺はこれをチートスキルとして利用しています。

原因は、脳内の記憶細胞が無尽蔵かつ無秩序に突然興奮する、みたいなことが起こっていると思われ、場にそぐわないランダムな記憶が次々に想起したりします。
で、俺はこの症状を逆に利用して、アイデアづくりに役立てているわけです。
(いわゆる「天使待ち」もしくは「アイデア降臨」といった能力を、発想法の訓練を特にしていないのにできる人は、俺と同じ障害を持っている可能性があります)

ただしこのチートスキルには大きな欠点があり、生かすためにはまず表現力の訓練を先にしないといけない、ということです。
基本的に人と違うことを発想しているだけなので、表現力が低いと人に理解されない表現しかできません。何の役にも立たないどころかコミュニケーションの邪魔にしかならないのです。
多くの人は、自分がこのチートスキルを持っていることに気づくまでに相当な時間を要すると思われるため、そうでない人はとにかく知識欲を高く持って、「人と違うことを考える」ことを日頃から意識することが対抗する手段です。

(逆にこの障害があるかもと自分で思う人は、表現力をとにかくガンガン鍛えましょう。俺と同じ匂いの人の中には、発想が人と違う上に表現力も乏しいために、普通の社会生活にすら支障をきたしている人がけっこう多いです。そういう人は、「相手はどうして分かってくれないんだろう。どう言えばいいだろう」と常に考えることも大事だし、「普通を理解する」努力も必要です)

7. 理解者のいる環境に生まれること

19世紀までは、いわゆる「絵の才能」というのは、実質的にこの「美術に理解のある家庭に生まれる」ことを示す言葉でした。

一般に多くの意識高い人達は、「才能を開花させるためにはやる気があれば十分」と思っていますが、これは違います。
やる気だけあっても、具体的に行動することができなければ才能は開花しません
ですから、「最初に何をすればいいか」が分からないと何もできないし、変に行動力があったがためにトンチンカンなことをしてしまう子(いわゆる質の悪い練習しかできない子)も多いです。

この「最初に何をすればいいか」のことを、俺は「ファーストステップ・キーワード」と呼んでいます。
分かりやすく言うと、幼稚園児・小学生が独学でやりたいと初めて思ったとき、ブラウザーの検索枠に最初に入力すべき言葉です。

世の中の多くの人は、(特にその道に造詣が深い人ほど)このファーストステップ・キーワードは誰でも自然に思いつくと考えがちです。
でもそれは「どんな練習をすればどんな効果があるか」を知っているからこそ分かることだったりします。
美術のファーストステップ・キーワードは「模写」であり、まずはプロから技を盗むのが最初の1歩なわけですが、模写をしたことがない人は「模写にはプロから技を盗めるという効果がある」ことを知りません。
ですから小学生なんかがこの言葉に自分で気づくことはありません。

大人は大人で「絵師を目指してるくせに模写という言葉すら知らない子がいる」なんてまさか思いもしませんし、「やる気があるなら自然に気づくだろう」と軽く考えてるケースも多いため、親切に教えてあげることは少ないのです。
ヤフー知恵袋でも、「プロを目指したいんですが、最初に何をすればいいんでしょうか」という質問に対し、「やる気がないならやらなくてもいいよ」と答えてしまう回答者は多いです。
彼らはやる気がないのではなく、やる気はあるけどファーストステップ・キーワードを知らないだけです。
で、右往左往と変なラクガキをしているうちに時間だけが過ぎてしまうケースが、実はけっこう多いんです。

ただし1つだけ安心していいのは、このブログを読んでいるあなたは、この項はもはや関係ないということです。
最初の1歩をとっくの昔に踏み出した人には、ファーストステップ・キーワードはもういりません。
ですから、芸術家の親を持った子に劣等感を抱く必要はもうないのです。
そんなこと考えてる暇があったら、1秒でも長く鉛筆を握っててください。その方がよっぽど有意義です。

8. 美術以外で培った知識

通常、絵とは関係ないところで培った知識を美術に応用することは、大人になれば自然にやることです。
でも子供は、これが意外と納得いかなかったりするんです。
だって、絵の練習以外のことをやって絵が上手になるわけですから、絵の練習だけを必死にやってきた人の中には「ずるい」と感じる人もいます。
自分は必死で絵のことだけがんばってきたのに、絵以外のことに夢中だった奴が自分より巧いのはイヤだ、という理屈です。

ただ残念ながら、美術以外の分野のことが絵の練習に役立ってしまうのは、世の中的に当たり前のことです。
ミリタリーマニアは銃を描くのが巧い。
オシャレ好きな人はファッションデザインが最初からそこそこできる。
書道のときに美しい線を引く人は、絵を描く際にも美しい線を引く。
どれも当然のことです。

意外と気づきづらいところでは、たとえばミュージックビデオやスポーツ観戦など人が動いているところを見るのが好きな人はカッコいいポーズを考えるのが巧く、そうでない人はオリジナルのポーズを考えようとした瞬間に固まる傾向があります。

もしこれらを当然だと思えない人がいたら、その人にはちょっと考えてもらいたいのは、そもそも「絵」とは、この世にあるものを描くということです。
描けるようになるためにはその描くべき対象に興味を持つしかないわけで、つまるところ美術は美術以外の何に興味があるかで、何が描けるかが決まるんです。
つまり描くこと以外の何にも興味がない人は、何も描けないわけです。

ようするに人間として何に興味を持つかは、絵師としての方向性そのものを決定づけることでもあるのです。


今回はかなり長いブログになってしまいましたが、いわゆる「天賦の才」と呼ばれるものが、意外と大したことないということに気づいていただけたのなら幸いです。

元オリンピック選手の為末大さんの言葉で、「アスリートとして成功するためには、アスリート向きの体で生まれたかどうかが99%」というものがあります。
身も蓋もないということで炎上しました。

ですがよくよく考えてみれば、アスリートを目指す人は、「アスリートを目指す自分」に対して何か感じるものがあったからこそアスリートを目指すわけです。
それはつまり、アスリートとしてのチートスキルが何かあったからこそ「アスリートを目指したい」と思ったということで、そういう体に生まれていない人はそもそもアスリートを目指そうとは思わないはずなのです。
だから為末大さんの言葉は身も蓋もない以前に、完全に余計なお世話の無駄な発言だったわけですね。

美術も一緒です。
絵師として自分に才能を感じていなければ、そもそも「絵師になりたい」なんて思うわけがありません。
自分に何かを感じたからこそ絵を描きたいと思ったはずなんです。

その「何か」が一体なんなのかは自分で探すしかありませんが、とはいえ最低1つはあるのはたしかです。
もしかすると、今回リストアップした以外のものかもしれませんし。

がんばれる人とそうでない人の差は、最終的には自分にあるはずの「何か」を信じられるかどうかの違いになってくるのかもしれません。

「表現力」の鍛え方

世の中には「自分には生まれついての素質がない」という謎の理由で絵をあきらめてしまう人がいます。
別に超能力の訓練をしてるわけじゃなし、多くの人には実際にできていることが俺にだけは無理とか絶対あるわけないんですけど、どんなに強く言っても生まれついての素質なるオカルト謎エネルギーの存在を信じて疑わない人は必ず一定数います。

まぁ、そう思わなきゃやってらんない気持ちは分からんでもないですが、とはいえ上級・超上級・またはプロを目指すなら、そんなものを信じるなど許されません。
むしろ信じた時点で人生終了だと思ってください。

一般に多くの人が素質の存在を感じてしまうのは、通常多くの場合は、同い年なのにやけに巧い子の絵や、超上級のプロの絵を見たときでしょう。
とんでもない色彩感覚、常人のものとは思えないデザイン力、まともな神経で思いつくとは思えない表現力を目の当たりにしたとき、自分に同じことができるとはとても思えないという感覚を覚えます。

でもそういうのって、ようするに「なぜそんなものが描けるのか分からない」というだけのことです。
同い年の子の絵を見たときには「同い年なのだから、絵に対する訓練量は同じくらいのはずだ」と思いがちですが、なわきゃねぇだろ、アホかよ。おまえそいつほどがんばってねぇだろとしか言いようがありません。
また、プロの絶対的な実力に圧倒されたときには、「どういう訓練をすれば描けるのか分からない以上、訓練方法など存在しないに違いない」と考えてしまいますが、それも絵の訓練方法の研究とかしたのかよ。にわかが勝手なこと言うなということになります。

ようするに単純な思考停止であり、少し考えれば分かることで、そして間違っているのです。
心の平穏を保つためにそう考えないといけなかったのかもしれませんが、間違いは間違いであり、事実は事実です。
自分がガチ勢である自覚があるなら事実は認めましょう。
自分が人より劣ってるのは、がんばりが足りないからです。

言うまでもなく、実際には訓練方法は存在するのです。
ただ多くのプロは、そういった訓練方法のようなものをとんでもなく苦労してようやく見つけているもので、具体的な方法論を安易には語りたがりません。
また、頭の中で体系立っていないことも多く、教えたくても教えられないのです。
(短期で集中して覚えたことは概念を整理しやすいので人に教えるのも簡単ですが、長い時間をかけて習得したスキルは頭の中でぐちゃぐちゃになっていることも多く、巧く言葉にできないことが多いです)

でも、訓練方法はたしかに存在する、ということだけは絶対に確実なのです。
というわけで今回は、中級者がぶつかりがちな素質の壁のうち、「表現力」に関する訓練方法をまとめてみたいと思います。

特に「同じものを描いているはずなのに、あいつの絵ばかりが人に注目される理由が分からない」と考えがちな人の半数は、表現力で劣っていることが原因です。
ぜひ参考にしてください。

1. 「表現力」とは何か

そもそも「表現力」とはどういう能力のことなのでしょうか。
つまり「表現とは何か」の定義の問題です。

中途半端な芸術家崩れなんかは、「絵を描けばそれは表現、つまり芸術家としての生きざまそのものが表現行為なのだ」とか言いそうですが違います。(きっぱり)
そんなこと本気で言ってたらそいつ間違いなくアホです。
いやだわ、早くすりつぶさないと。

表現とは、人間が誰かに何かを伝えたいと感じたとき、その感情に基づいて起こす行動のことをいいます。
絵師の場合は、誰かに何かを伝えたいと思って描いたイラストのことを「表現物」と呼びます。
そして、その行動の結果生まれた絵を相手が「美しい」と感じたとき、それは「芸術」と呼ばれます。
(中には、何かを伝えたいという気持ちが明確でない状態で描いている人もいるでしょうが、「人に見てほしい」と思った時点で「素敵だ(またはカッコいい、かわいい)と思ってほしい」という気持ちがあるはずです)

ですから、その何かを伝えられた相手が、表現者の意図を正しく受け取れなければ、それは表現物とは呼べません。
ただ「表現しようとして失敗した何か」でしかないのです。

(伝える相手のいない自己満足でも表現は表現だ、と思う人もいるかもしれません。
でもそれは一生アマチュアでいることを決めた人だけが思っていいことです。
特にプロの商業イラストレーターを目指すならその考えはダメで、「伝えたいことが正しく伝わらないのは自分が下手だからで、それ以外の理由はない」と考えることがとても重要になります)

こちらが描いた絵の意図を相手が正しく理解できたとき、それを「表現が巧くいった状態」といいます。
ですから、正しく伝わらなかったらそれはただの「失敗」です。
そういうふうに考えなければ訓練にならないのです

イラストの場合は、何の説明もしなくても相手が絵の内容を理解し、こちらの意図通りの感想を抱いてくれたら勝ちです。
カッコいいキャラを描いたつもりのものを見せた結果、「カッコいいね」と言ってもらえたら成功、「カッコ悪いね」「下手だね」だったら失敗、「かわいいね」だったらドローといったところでしょうか。
表現を成功させるためには、やみくもに何となく描いていてはダメで、分かってもらえるように描かないといけないわけです。

(ちなみに初心者の模写練習であれば、人に見せた結果「なんだこりゃ」と言われても仕方ありません。それは別に分かってもらうことを意図したものではなく、その手前の基礎練習だからです。でも「分かってもらいたい」と思って描いたものが分かってもらえなかったら、それは失敗です)

2. 表現力を鍛えるために何をすべきか

さて。具体的な方法論です。
表現力には3つのレベルがあり、そのレベルによってやることが変わってきます。

ただし、表現力レベルの低い人ほど、自分の能力を高く過大評価する傾向があります。
表現力というのは意図的に鍛えないと自然には伸びない能力で、生まれてこの方なんの訓練もしてない人は基本的にレベル0です。
意識して訓練した覚えがない人は「自分は大丈夫」と勝手に思い込んでいないか、一度思い直してみた方がいいでしょう。

レベル0. 表現力を鍛える必要性が理解できていない段階

つまり「俺に合わせろ」「俺を理解しろ」タイプの人です。
それから「話せば分かる」という信念がある人や、「雑談が続かない」「この人は俺を分かってくれない、と感じることが多い」人も含みます。
個人的な目算では、日本人全体の60~80%はここに該当するはずです。
 
この段階の人は、自分の表現が曲解・誤解されている可能性を疑わなかったり、会話の意図が通じなかったとき「自分ではなく相手のせいだ」と考える傾向があります。
最底辺のあたりになると、巧く伝わらなかったら殴っとけばいいみたいな人も実際います。
 
絵師は、「自分の表現を相手が理解できなかったら、それは全て自分の責任」と思わなければいけません。
自分の表現が相手に巧く伝わらなかったのは、表現力が足りなかったからです。
相手には何の非もありません。
 
たとえ実際には相手が悪かったのだとしても、「巧く伝わらなかったのは自分のせいだ」という心構えを常に持つことが、表現力訓練の第1歩です。
 
おすすめの練習方法としては、まずは「多分これでいいだろう」という甘い気持ちを捨てるところから始めるのがいいです。
そういう気持ちはクオリティにもろに影響を与えるため、自分で自分の絵を見て気づきやすいからです。
 
たとえば、この2つはほぼ同じ絵ですが、右の方が少し若く見えると思います。
Bの方がほほも少し引き締まっており、顔自体が少し小顔に見えます。

 
ですが実際には、2つの絵の違いは唇の厚みだけです。
他は完全に同一で、編集ミスによる違いが生じていないことも確認してあります。
 
このイラストは横幅5センチ半くらいの大きさに描いているので、唇の厚みの差は1ミリ弱ほど。
鉛筆の芯2本分くらいの違いしかありません。
 
にもかかわらず、それだけで人物の年齢まで変わってしまいました。
なぜならば、唇が変化したことによって、絵の「意味」が変わってしまったためです。
小さなミスをスルーするということは、こういう「意図しないブレ」を放置するということになります。
 
基礎練習であるとか、ていねいに描く心構えだとか、そういう基本的なことがどんなに大事かという話。
 
もちろん意図通りの線を完璧に引くのはそう簡単にできることではないので、そこは練習をがんばってもらうしかありません。
ですがもしあなたが、小さな違いを「ま、いいや」で済ませるタイプであれば、その心構えはすぐに直せるはずです。
それだけでもクオリティに天と地ほどの差が出ます。
 
(ちなみにイラストのあらゆる箇所をミリ単位の精度で仕上げなきゃいけないかというと、べつにそんなことはなく、絵は大事な部位ほど小さなミスが目立ちます。
大事でない箇所は多少いい加減でも問題なく、この女の子の場合だと実は後ろ髪が変にこんもりしてておかしいんですが、そこはそんなに気にならないと思います。このイラストでは後頭部は重要な個所ではないからです。逆に髪を見せたいイラストの場合、唇の違いはそんなに目立たなくなります)

 

レベル1. 表現手段の幅が狭い段階

表現したいと思い、その努力をしようと決心をしたとしても、そもそも表現手段を持っていなければ何もできません。
自動車を運転したいと思っても肝心の自動車がなければ運転できないし、食べ物がなければ食べるという行為はできません。
それと一緒で、なにかを表現をするには、表現手段を持っていなければいけません。
 
だからこそ初心者はテクニックを磨くのです。
初心者が必死で基礎練習を行うのは、指の筋肉を鍛えてより美しく描けるようになると同時に、表現の幅を増やすためでもあるわけです。
 
たとえば「かわいい女の子」が描きたいと思ったときに、画一的でテンプレートな顔しか描けない人よりも、多彩な顔が描ける人の方が表現の幅は広いといえます。
また全く同じ物を描く場合でも、大きな紙でも小さな紙でも同じように描く人よりも、大きく描くときはリアルに、小さいときは相応にデフォルメして描ける人の方が、より表現力が高いといえます。
 
この段階の人は、とにかく色んなものを見て、世の中のプロがどんな技を持っているのかを貪欲にかき集める必要があります。
またせっかく集めたテクニックは、知ったつもりにだけなるのではなく、本当に必要になる前に手になじませておくのも重要です。
 
ただし基本的には今までのように一生懸命練習すればいいだけで、レベル1の人がレベル2に上がるのは、レベル0の人が1になるよりも簡単です。
 

レベル2. 正しい方法を選択できない段階

使えるテクニックが増えて、いろんなことができるようになったばかりの人が意外と甘く見ているのが、「表現方法は正しく選択できなければ意味がない」ということです。
 
特に新しい表現方法(テクニック)を覚えたばかりの段階では、とにかくそのテクニックを使いたくて仕方なくて、意味はないけどつい使っちゃった、ということが往々にしてあると思います。
ですがそれをやってしまうと、「絵の意図」そのものが変わってしまうことも実は意外と多いのです。
 
たとえばテーマが「下町のノスタルジー」のときは、イラストは全体的に暗くしないと意味がありません。
明るくするにしても、それは必要に応じて必要な箇所を明るくするだけで、ラメをぶちまけたように全体をキラッキラにしたらノスタルジーを表現できません。
ですが「高反射・高輝度描写」は多くの人が憧れるテクニックであるため、特に習得に時間がかかった人ほど、嬉しくてつい使ってしまうかもしれません。
 
そういった例に限らず、「テーマは○○だったはずなのに、そのテーマにそぐわないテクニックを使ってしまっていた」ということは意外に多く、しかも完成してから人に指摘されるまで気づかないこともけっこうあります。
最初のうちはとにかくたくさん批評をもらって気づくしかないのですが、気をつけようという意識を持つだけでも違うと思います。


これを読んでいるあなたは、もしかすると今「大したこと書いてなかった」と感じているかもしれません。
実際、表現力に対するまとめは、
 ・テクニックをたくさん習得しろ
 ・テーマを大事にしろ
 ・ていねいに描け
の3つだけ。
どれもイラストスキルの基本ばかりです。

でもそれは当たり前のことで、表現とは、こちらが思っていることを相手に正しく伝えることであり、絵を描く理由そのものだからです。
自分の絵を美しいと思ってほしいなら、美しいと思ってもらえるように描くべきという、本当に当たり前のことを言っただけです。

ですが多くの人が、その基本でつまづきます。
初心者の大部分は、表現は「相手に努力させて理解させるもの」という意識があるからです。
日本はもともとそういう文化の国だってのもありますし。
でも、他の多くの人がそうだからといって、あなたが愚かなままでいなきゃいけない理由などどこにもありません。

見る人をハッとさせるような絵も、一目で情報を伝える優れたイラストも、すべては美術の基本を極めることでしかなしえないのです。

絵師の4つの成長段階について

多くの初心者はもちろん「楽しいから絵を描く」ものだし、それは描き手にとって基本的かつ一番重要なことです。
描くことを楽しむことができない人が、絵を描くことはできません。

でも、だからといってただ楽しんでいるだけでは、いつまでたっても他人から評価される絵は描けません。
初心者は「自分が描きたい物を絵にしている」と自分では思っていても、実際には描きたいと感じたもののうち、自分の表現力の範囲で表現できるものを描いているにすぎないからです。
それが必ずしも他人から見て理解できるとはかぎらないし、むしろ理解できないことの方が多いです。

ですから、他人から評価を得るためには、段階に応じて勉強する内容を徐々に変えていかなければいけません。
というわけで今回は、絵師としてプロに近づいていくための成長プロセスの話。

1. 自分が楽しく描く段階

どんな趣味でもそうですが、新しくスキルを覚え始めた人には「自分が楽しむ」という段階が必要です。
この段階がなかった人は、成長はいつか必ず打ち止めになります。
楽しむことは何より大事なことです。

この段階の人は、基礎練習をしっかりやることが大事です。
テクニックとか理論とか、そういう小難しいことは別にどうでもいいんで、基礎練習をとにかく楽しんでこなすこと。

世の中どんなスキルでも、基礎練習は基本的につらいものです。
だから楽しいと感じなければ、何年にもわたる大変な練習には耐えられないのです。

2. 人に分かるように描く段階

自分が楽しく描く段階をクリアして「人からの評価が欲しい」と思った人が最初にぶつかる壁が、「そもそも分かってもらえない」「理解してくれない」というジレンマです。
見せても「ふーん」で終わっちゃう。
ともすれば絵の趣味自体を否定されてしまう。

これを乗り越えるためには、「分かってもらうには、分かってもらえるように描かないといけない」というシンプルな事実に気づく必要があります。
普通の人は、描きたいものを描きたいように描いただけの絵は理解してくれないのです。
ですので、自分が何を創作しているのか「人にも分かるように描く」ことを覚え、最終的には自分の創作物が素晴らしい物であることをアピールし、理解してもらう。

そのためには気合いでがんばるだけではダメで、どう描けば分かってもらえるのかという知識の吸収も必要です。
自分が楽しければそれでよかった頃はただ描けばよかったのが、このあたりから「勉強しないと練習だけではどうにも無理」という状況になります。

なので「分かりやすい表現」「分かってもらえる表現」「正しい表現」、もしくはそもそも「分かってもらうとはどういうことか」といったことを学びます。
こういったことを学ぶには、教則本を読む、美術部に入ってる、美術教室やサークルに入る、美術系の学校に進学、といった方法が考えられます。

ただし、「教えてもらう」ことは人に聞くか本を読むかすればいいので簡単ですが、その教えてもらったことを「自分が理解する」のは全然別問題です。
美術知識はただ「知っている」だけでは全然意味がなく、その知識に基づいて手が動き、心が感じることも必要です。
ですから、覚えたことは逐一全て一度は実践してみる必要があります。

若い人の中には、「美大に入れば、自分が知りたいことを何でも的確に教えてもらえる」と思ってる人もいますが、違います。
美大は「美術にどっぷりハマれる場」を提供してくれるだけで、勉強自体は自分でやんないといけないのです。

大学生以上の絵の先輩がいる人は、先輩が絵の本を1度に1万円分とか爆買いしてるところを見たことがある人もいるかもしれません。
あれは、そういう勉強の仕方をしなければ、自分が学びたいことを効率的に学べないからです。

なお一般に、周囲に「美術に理解のある大人」がいる場合、この「人に分かるように描く」という段階には小学生のうちに至ります。
そういう人はうらやましいかぎりですが、そうでない人はこの段階に達するのが遅れる傾向があり、多くは高校・大学に入ってからということが多いです。

または自分で気づかないかぎり一生至れない人もいて、俺はそういうタイプでした。(一般に「絵のセンスがない人」とは、こういうタイプの人のことを指すことが多いです)
俺の場合は、今にして思えば「理解者」に相当する人は周りにいっぱいいたのですが、その人達が評価をくれない理由が「人から見て分かるように自分が描いてないから」ということに、子供のうちには気づくことができませんでした。

そういうケースもありますので、なぜか振り向いてもらえない系の人は、自分がそういうタイプでないかを考えた方がいいでしょう。

3. 人から喜ばれるように描く段階

自分が表現したいものを巧く表現できるようになった人が、次に抱える悩みが「見てはくれるんだけど『ああ、上手だねー』で終わっちゃう」というジレンマ。
もっと褒められたい、もっと称賛が欲しい、と思うのであれば、見る人を喜ばすように描かなければならず、それは単に分かってもらうこととは全然違う話です。

この段階に達するには、自分がまだその段階でないことに自分で気づくしかなく、言葉巧みに大人が教えてくれることはほとんどありません。
なので、いつこの段階に達するかは個人差が大きく、中学生くらいで達する子もいれば大人になってからという人もいて、どの年齢層が多いといったことも特にないように思います。
中には、思い込みがあまりにも激しすぎて、心を入れ替えないといつまでたってもにっちもさっちもいかない子もいます。
とりわけ「芸術は自己表現の手段であって、それ以外ではありえない」という信念を初心者のあまりに早い段階から持ってしまっている人は、この 3. の段階に至るのが遅れる傾向があります。

かつ、1. ~ 2. の段階では教則本を見れば何となく勉強がはかどっていたものが、このあたりから「該当する教則本がなかなか見つからない」という状況になってきます。
この段階の人向けの本も、本屋・古本屋に足しげく通えばたま~にあったりはしますが、だいたい表面的なことしか書いてないので、基本的にはプロから盗むしかありません。
(しいていえば「アイデア集」みたいな本がこの段階の人向け?)

4. 人の役に立つものを描く段階

分かりやすく、かつ人に見せれば褒められるレベルのものを定常的に生み出せるようになった人が、プロになる手前で(またはプロになってから)陥るのが、当然ながら「ここまでやったのに売れない」「値段をつけてみたら急に評価が下がった」というジレンマです。

自分が描いた絵に「値がつく」ためには、ただ喜んでもらえるだけではダメで、それが何かの役に立つものでなければいけないからです。
それができてないから売れないのです。

ただしここでいう「役に立つ」とは、別に会社で仕事に利用できるという意味ではありません
単に「心を癒す役に立つ」とか「持ってるだけで自慢する役に立つ」「人を喜ばすのに役立つ」または「ゲーム内のシナリオ効果として役立つ」といった全てのケースを含みます。
どんな役にでもいいし、ぶっちゃけ「爆発してない芸術なんて許せない」といった偏見とかあっても全っっ然問題ありません。
ですが、とにかく何の役にも立たない絵は売れないのです。

この段階に達するのはだいたい多くの人がプロになってからですが、社会人1年目でいきなりフリーランスとして売れてしまう人は、おおむねアマチュアのうちにこの段階に達した人です。
通常多くの人は、プロとしてやっていくうちに先輩から学び取ったり、または即売会などで売ったりしているうちに成るケースが多いです。

いうまでもなく、この段階以降の人向けの、教則本というものは存在しません。
俺自身さすがにここまで成った人間ではありませんが、将来的にもこの段階の人向けのコラムを書くつもりは毛頭ありません。
ここ以降は、基本的に「自分 vs 全世界」の領域です。


上記のうち 3. や 4. などは、まだ絵を描きはじめたばかりの初心者には、とても厳しいことを言っているように聞こえるかもしれません。
でもそれは、「そうなるためにはどうしたらいいのか想像がつかない」からそのように感じるだけです。
絵を長く続けていればちゃんと分かるようになります。

ただそうはいっても漫然と描いてるだけの人は、いつまでたっても「1.自分が楽しく描く段階」をクリアはできません。
自分を精神的に成長させるコツは貪欲にむさぼるようにです。

そのような気持ちがない場合は、あえて「1.」の段階で踏みとどまるのもいいし、そうすれば一生楽しんでいられます。
プロになるつもりがないなら、そういう人生も悪くはないでしょう。

ちなみに、(この部分は心理学の難しい話)

絵師の成長をさえぎるトラップあれこれ

絵の初級者が中級者にレベルアップするまでの時間には個人差があります。
ですから、(口先だけでなく)ちゃんと一生懸命やってるのに、やけに成長が遅いという人もやっぱり中にはいます。

そういう人は何の理由もなくただ成長が遅いなんてことはありえないので、当然ながらなんらかの理由があって成長が止まっていると考えるべきです。
個人的に、その「レベルアップできない理由」に相当するもののことを「トラップ」と呼んでいます。
一般に、トラップは以下の3種類のうちのどれかです。

A. 練習量が足りないのに無理をしている
B. 知識が足りない
C. 妙な思い込みがあり、それが練習の妨げになっている

これらを解決していくためには、もちろん基本的には教則本とか見て自分で何とかしていくしかないのですが、とはいえあまりにも初心者すぎて自分では解決できないという人も世の中には多いです。
美術の世界の人間はそういう子を情け容赦なく置いていく傾向があるので、ついていく方はとても大変です。

てなわけで今回は、よく耳にするもののうち比較的重いトラップを、知ってる範囲でリストアップしてみます。
今回のコラムを読むことで、実は自分が問題を抱えているのだということを発見し、かつそれは直せるのだということに気づく人がいたらいいなと思います。

目次としてはこんな感じです。
1. 線が巧く引けない
2. 絵が乱雑になる
3. 体が歪む系
4. やってる努力の方向性がおかしい
5. その他の「なぜか描けない」系
6. 変な思い込みがある

1. 線が巧く引けない

「直線をまっすぐ引くには、ただ手をまっすぐ動かせばよい」と信じていた人が、絵を志して最初にぶつかる壁がこれです。

人間には「バランス感覚」という能力が生まれつき備わっています。
倒れようとすると無意識に踏ん張る能力のことです。
それは当たり前のことではありますが、このバランス感覚が実は指先などの末端部分にまで行き渡っていることは、意外と気づいてない人もいます。

片足立ちをすると自然に体がぐらぐらするのと同じ原理で、人間の指先は物を持つと自然にぷるぷる震えます。
つまり人間の指は、本質的に鉛筆を持つと震えてしまうのです。
だから「ハンドフリーで直線は引けない」のは当たり前のことなわけです。

でもそのことを知らなかったりすると、まっすぐ描くことすらおぼつかないことを「不思議なこと」と感じたり、または「自分は出来が悪い」と勝手に思い込んでしまうこともあります。
小中学生が抱えていることが多いトラブルですが、絵を描かない人であれば大人でも意外と盲点になりがちです。

「美しい線を引く」とは何年もの修行を積んでようやくできることであり、そのへんの子供がちょっとやって簡単にできることではありません。
たま~に、若くしてきれいな線が引ける凄い小学生とかいるにはいるんですけど、そういう子は「線は美しく引かなければ美しくならない」という当たり前のことに早い段階で気づいて努力してきたから描けるのであって、決して簡単にやってるわけではないのです。

美しい線が引けるようになるためには、とにかくたくさん線を引くしかないです。
基本的に終わりのない訓練で、絵師として暮らしていく以上は、「美しい線を引くスキル」を生涯鍛え続けていくものです。
人間が呼吸をしなければ生きていけないように、絵師は線を引く練習をし続けなければ生きていけません。

ただし、何年やっても終わりがないということではなく、「成長を実感する」だけなら半年から1年くらいで感じられるようになります。
この能力は初心者のうちが一番伸びるので、最初だけちょっと辛抱すればいいだけです。

2. 絵が乱雑になる

「本当はもっとていねいに描きたいのに描けない」というのも列記としたトラップです。
以前別のコラムで書いたのですが、人間の脳には「シンボル化」という能力が生まれつき備わっています。

これは、見たものを「丸」「三角」「四角」のいずれかに簡略化して認識するという能力のことで、目の前の風景がごちゃごちゃしていても、どこに何があるかをほぼ一瞬で把握できるのはこの能力のおかげです。
でも、見たものを簡略化して認識するということは、描くときもつい簡略化して描いてしまうということでもあります。

見たものを見たまま、そのまま描いてくださいと言われているのに、わざわざ略して描くという逆に面倒くさいことをやり、もしかして自分は馬鹿なんじゃとか思ったりする人がいます。
でも、人間はもともとそういうものです。

基本的に無意識の能力なので一般の人はその存在を意識してないし、それどころか自分にそんな能力があることすら知りません。
それどころかそんなものが自分にあることがどうしても信じられなかったり、存在を理解すること自体できなかったりもします。
もしくは、目の前にあるものを模写することはできるけど思い出しながらだと描けない、という人もいて、そういうのも一緒です。

人間は目の前の景色を略して認識してるから略して描いてしまうのです。
シンボル化とはそういうものです。

ですから絵師は、見たものをキチンと詳細に観察し、ていねいに描くクセをつけていかなければいけません。
もちろん、直そうと思って簡単に直せるものではありませんが、通常1~2年くらいで徐々に直っていきます。

その際に、自分自身にシンボル化という能力があることを知っているだけでも、より高い観察力が効率的に身につくかもしれません。

3. 体が歪む系

「パーツは描けるのに全身になると描けない」とか、「特定のアングルでしか描けない」といった系統です。

一般には、体が歪むのは「解剖学の知識がない」というケースが直観的に思い浮かびます。
よくある勘違いとして、「萌えキャラやデフォルメキャラに解剖学は必要ない」と思ってる人が陥りやすいトラブルです。
もちろんそんなことはなく、人間を描く以上は解剖学の知識が絶対に必要で、とりわけ「ポーズをカッコよく描く」場合は必須です。

それから、解剖学の知識を習得したのにやっぱり歪むというケースもあって、そういうのは立体感覚がないことが原因のことが多いです。
そのほかデッサン崩れの原因のほぼ半分がこれで、この立体感覚というヤツは本当に多くの人を悩ませる問題です。

別名・空間把握能力などとも呼ばれますが、ようするに被写体を頭の中で立体的に描き、全てのパーツを全て正しい位置に保ったまま360度自由自在にぐりんぐりん回す想像をする力です。
この能力のことを、後天的な習得は不可能なものと思ってる人もいますが、事実として多くの絵師は後天的に習得しています

ただし時間はすこぶるかかります。
人によって2年とか3年とか、場合によっては5年という長い年月が必要なことも多いです。
それでもやりたい」と思った心の強い人だけが持ちえる能力といえるでしょう。

この立体感覚の訓練には、生きた生身の人間を様々な角度から模写する、という方法を使うことが多いです。
また、まだ訓練期間中でこの能力が十分に育っていない人は、補助としてデッサン人形アクションフィギュアなどが使えます。
中には、道具や資料を見ることを嫌がって、そのせいで立体感覚の訓練に支障をきたす人もいますので、常日頃から「被写体を見ながら描く」ことは習慣づけた方がいいといえるでしょう。

4. やってる努力の方向性がおかしい

「マンガ家目指してます」って自分で言ってて絵の練習しかしてないとか、口先だけ「趣味程度に気軽にやりたい」って言いながらメチャクチャ高度なことをやろうとしてるとか、そういう系統です。
一般に「絵を描く」というスキルは、世の中の他のスキルと比べて難易度が高いのですが、その見積もりが甘いのが原因のことが多いです。

先に紹介した通り、絵が描けるようになるためには習得に年単位の練習が必要ですが、そのへんを分かってない人が「ちょちょっとかる~く描けるようになりたい」とか思ったり、またはその延長でプロを目指したりするケースがあるためです。
中には、イラストスキルの習得の難しさを知らない人や、人から言われても信じられないという人もいます。

そういう人は、基本ができてないのに難しいことをやろうとするわけです。
もちろんほぼ確実に玉砕です。

たとえば個人的に実際に遭遇した例としては、「私は美麗系の絵が描きたいので、美麗系のイラスト練習以外は絶対やりません」と言い切った人がいました。
そのときは「周囲の人達みんなが『もっと簡単なところからやれ』ってうるさいんです。でも私は絶対イヤなんです。何からやればいいですか」っていう相談でした。
いや知らんがなwww

美術の基礎というものは作風によらず共通で、アニメ系・リアル系・美麗系くらいの差では基礎訓練の方法論には違いは生じません。なので上記のようなこだわりは全く無意味なのですが、それが信じられず本人が頑なになってしまっているケースでした。
今となっては彼の行く末は分からないのですが(知恵袋の質問者だったのでそもそも名前も知らない)、絵をあきらめていないことを祈るばかりです。

この世の全てのスキルは基本が大事ですが、美術や音楽などの芸術系スキルはその基本の大事さが認識されにくいため、(スポーツ系スキルと比べて)一足飛びに応用編をやりたがる人は多いです。
でも高度なことがやりたいならまず基本からです。

もちろん、だからといって基本を学ぶことにばかり、やたら時間をかければいいわけでもないですけどね。
上記の例とは逆で、5年間デッサンしかしてません、という人もいました。
コツコツやるのはたしかに大事ですが、やりたいことだっていっぱいあるだろうに、その気持ちを全部抑圧して基礎練習ばかり何年もやり続けてしまっている例でした。

もちろん絵を描く目的自体が「基礎を極める」ことであればいいんですけど、そういう人の中に一部「絵が描きたい」という気持ちだけが宙にふわふわ浮いていて、何をやったらいいか分からないから基礎だけやってますというパターンがあるので要注意です。

これらのパターンにはまらないためには、基本から順番にやっていくことのほかに、基本ができたらどんどん上を目指すことも大事です。

5. その他の「なぜか描けない」系

いわゆる「なぜか描けない」系のトラブルで、かつ 1. ~ 4. のいずれにも該当しないものは、だいたい知識不足が原因です。
「画力自体は十分あるはずなのに」というタイプで、自分に知識が足りないこと自体に気づいていないケースが多いです。
話を聞いてみると、イラストはとにかくがむしゃらに練習するだけで上手になれると信じている人も少なくありません。

タイミング的に「そろそろ初心者脱出」くらいの人が陥るケースが多く、「特定の作風でしか描けない」子とか、原因が分からず悩むことが多いようです。話を聞いてみると、そういう子はだいたい特定の作風でしか練習してないんですケドね。
珍しいところでは「おじいちゃんしか描けない」なんて子もいましたっけ。
(ちなみに「美少女しか描けない」子は原因を自分のせいと自覚してることが多く、「イケメン(orブサメン)しか描けない」子は原因を理解できない傾向があるようです)

こういうのは描きたい顔の「基準」が頭の中にないことが原因です。

個人的には「テンプレート」と呼んでいるのですが、たとえば「典型的な女子大生」「典型的な男の子」「典型的なおばあちゃん」など、典型的で特徴のない顔を頭の中にコレクションしておくんです。
通常多くの絵師は、そういうテンプレートを頭の中にあらかじめインプットしておいて、それをちょっとずつ変えたり、複数のテンプレートを混ぜたりしてキャラクターをデザインします。
あらゆる顔を人物ごとに丸暗記してたらきりがないし、オリジナルのキャラクターデザインも難しいですからね。

で、特定の人物や特定のキャラクター、または特定の作風しか練習してこなかった人は、そういうテンプレートしか頭にないわけですから、知らないから描けないってことになってしまうわけです。

基礎練習中の人は、模写するイラストの幅を増やしたり、すでに基礎練習を修了している人も、少し立ち戻って描きたい作風・キャラクターの模写をしてみたりすると解決することが多いです。


「なぜか描けない」系のトラブルでもう1つ。
これは俺自身が典型的な例だったんですが、俺は若い頃、上級者に言われたことを頑なに妄信してしまう傾向がありました。
たとえば「絵はとにかくがむしゃらに描き続けるしかなく、それ以外やらなくていい」とかです。

だから若い頃は、とにかくがむしゃらに描けば上手になるし、プロにだってなれると思ってました。
もちろん、そんな考え方ではプロにはなれません。
いってせいぜい中級者までです。

がむしゃらに描き続けるしかないというところまでは確かにその通りで、上手になりたければとにかく描くしかないです。
でも限度はあります。
趣味として描ければいいというのならともかく、もし上級・プロ級になっていきたいなら、基礎デッサン力が身についてきたら徐々に知識を増やすことにも注力していかなければいけません。

美術というものは、本質的に大量の専門知識が必要ですからね。
(ちなみに俺は「萌えキャラは美術じゃない」とか「商業イラストは芸術じゃない」とかうそぶく人の言葉を信じて、イラストを描くのに本格的な絵画の技術は必要ないものと思い込んでいた頃もありましたが、これも間違いでした。絵画だろうと萌えキャラだろうとエロ本だろうと、描く側には同じ技術が求められます

毎月何冊も本を買わなきゃいけないし、絵は紙とペンさえあれば描けるなんてのもぶっちゃけ嘘です。
気軽に描くことは紙とペンがあればできるけど、「本格的に美術を習得する」のは紙とペンだけではできないのです。

あなたがもしプロを目指していて、かつ現在学生であれば、働ける年になり次第さっさとバイトした方がいいです。
月に1万円くらいは教則本代に欲しところですが、とはいえ最初のうちは自分に必要な適切な教則本を選ぶ審美眼がないのでけっこう無駄金を使ってしまいがちだし、その他の画材だってタダではありません。
メチャクチャお金かかります。


「なぜか描けない」系のトラップは他にも、
・「ポージング」も1つのスキル単位であることに気づいていない
・「構図」といったものは、勉強しないと分からないことに気づいてない
みたいなのもあります。

たとえば萌えキャラは、ポージングスキルを鍛えているかどうかで出来栄えが180度変わります。
ポージングの優れたイラストには、だーいたい「こういうのは生まれつきのセンスだからねぇ」なんてコメントを書く訳知り顔のにわかが1人はいるのが定番だったりして、そのコメントを見て「そっか、こういうのって訓練で鍛えられないんだ」とか落胆する初心者がいるのも定番だったりします。
今だからこそ鍛えた人が現実にいるのに鍛えられないスキルなんてあるわけねぇじゃねぇかって思うんですけど、かくいう俺も昔はポージングは訓練不可能なんて思ってたりしました。
(ちなみにポージングスキルの高い絵師としては、貞本義行・げそいくお・井上淳哉・荒木飛呂彦あたりが個人的に知ってる範囲では有名だと思うんですが、割と小太りで典型的なオタクっぽい風体の人が多いのは…………まぁ、多分偶然でしょう。多分ね、た・ぶ・ん)

あと「構図」についてもそうですね。
構図というのは天性的な発想で思いつくものではなく、知らなきゃ使えないし、知ってればできる類のものです。
いくつかの「定番構図」というものがあり、世の中の商業イラストの9割以上は定番構図です。

どちらかといえば「広告デザインレイアウト」の分野の話なんですが、同人絵師向けの教則本なんてのもありますし、いまいちピンとこない人はそういうので勉強した方がいいと思います。

6. 変な思い込みがある

イラストスキルにかぎらず、世の中の何らかのスキルを学んでいくうえでもっとも危険なトラップがこれです。

思い込み

思い込みとは、今まで学んできたことのうち、実際には間違っているもので、とりわけ実は間違いであることに自分ではなかなか気づけないものの総称です。

日本には昔から「思い込みを持ってる人を正してあげる」という文化がなく、たとえ死に直結する危険な思想であっても平然と放置されることが多いです。
残念ながら、日本人がそもそもそういう国民性であることは統計で明らかになっています。
(思い込みを放置する国民性というよりも、「自分自身の間違いを、実際に人が死ぬまで認めない」類の情報弱者が多いと言った方が正確かもしれません。「そんなことしたら子供が死ぬ」って報道がたくさんあるのに、昔のやり方がやめられない教師や毒親なんかがその典型例です。そういう人は世界中にいますが、先進国の中で日本人だけずば抜けて多いのは統計上の事実です)

それでもスポーツスキルであれば人が死ねば有識者が気づくので徐々に発展していけるのですが、イラストスキルの訓練中に死亡する生徒というのはなかなかおらず(当たり前)、生徒が珍妙で危険な思い込みをしていても先生はなかなかそれを直そうとしません。
ですから、学ぶ側が自ら情報を集め、自分が思い込みをしていないか調査し、自分で修正していかなければいけません。
それか、思い込みを修正してくれる優しい先生が現れるのをひたすら待つか、です。


典型的な思い込みとしては、「イラスト模写やトレースには何の効果もない」という考え方があるでしょうか。
一度は絵師を志し、自身の成長が全く自覚できないという理由であきらめた子に多いです。

どちらかといえばトレースを嫌う子の方が多いですかね。
多分、サル真似してるだけで練習には見えないせいだと思いますが。

でもイラストの模写を嫌う子も一部ですがいます。
そういう子は多分、先生が自分のやり方が絶対だという至上主義者で、その影響を受けたのかもしれません。

あと逆にプロに多いのが、模写はイラストも写真も丸っとダメで、ちゃんとしたモデルさんを呼んで模写させてもらうことだけが正しいデッサンだという人がいますね。
そういう人は、自分が上手になったときのやり方が絶対だと信じてるんだと思います。
個人的には、そういう人には金持ちのお坊ちゃんはちょっと黙ってろって言いたいところです。

もちろん、すでに絵をあきらめた子に改めてやれと言うつもりはなく、ただちょっと残念かなと思ってるだけですが、そういう子の中に一部「デッサンをやるな」と周囲にうそぶく子がいるのが問題です。
上手になりたいのなら、そういう子の影響を受けないように「自分で考える」「何が正しいのか自分で調べる」というクセをつけていかないといけません。

模写やトレースにはどちらもそれなりの練習効果がちゃんとあります。
被写体はイラストでも写真でもいいし、もちろんプロのモデルさんでも、近場の小物とかでもいいんです。
美術の練習で大事なのは「基礎から順にやること」「志を高く持つこと」「楽しむこと」の3つだけで、具体的な練習方法に絶対などありません。


もう1つ典型的な思い込みとしては、「何かを見ながらじゃないと描けないのは本物じゃない」という系統もありますかね。

そういう人は、リクエストにその場でサッと答えてみせる上級者を見て、「かっこいい」と思いすぎちゃったのかなって感じでしょうか。
かつ、上級者のやってることを真似るのが一番という意識が強すぎるなど、初心者じみたことをするのが嫌な人?
人から「ちゃんと資料を見て描きましょう」と注意されても、「そういうのは初心者がやることだから、上級者を目指す俺はそんなことしない」って理屈なわけです。

もちろん上級者の行動を真似てみるってのはそれはそれでいい練習だし、尊敬する人の真似をしようとすること自体は人間の本能です。
ではあるんですけど、イラストの場合、真似るんだったら蛍の光や窓の雪でコツコツ練習してるところを真似ないと、その人の「本番描き」だけ真似ても意味がありません。
コツコツ練習してる姿って、上級者はなかなか見せてはくれませんからね。
見せてもらうためには、同じ部活や同じサークルに入ってちゃんと弟子入りしないと。

似たもので「デッサン人形は実力以上に描けてしまうので使ってはいけない」なんて思い込みもあります。
これも根本は一緒なのかな……デッサン人形の正しい使い方を知らずにあてずっぽうを言ってる系。
プロが「デッサン人形は俺には合わない」と言ってるのを、とりあえず口先だけ真似てるパターンも考えられますが、デッサン人形の正しい使い方を理解していないという意味では一緒です。

デッサン人形は、基本的には立体感覚がない人が補助として使うものです。
ですからそういうのを使いたがる人に「やめろ」とか言うことには全く意味がなくて、練習中なんだと思って温かい目で見てあげればいいだけです。
(もちろんある程度上手な人でも使う人は使います。まぁ、便利だしね。個人的にはちゃんと人間の形をしたタイプがおすすめです)



さて。

これらの中に、自分に当てはまるものはあったでしょうか。
ちなみに個人的には、3. の「体が歪む」という問題を自分が長く抱えていたことに最近気づいて、矯正している最中だったりします。
俺は別にプロじゃないし、そうレベルの高い人間でもないですが、だからといって初心者でもありません。
だから「ちゃんと描けないのは恥ずかしいこと」と自分に言い聞かせてがんばってるところです。

そんな感じで、今回のコラムがトラブル解決の糸口になれば幸いです。

違いの判らない絵師が間違いやすいもの3つ

当たり前ですが、素人は何も知りません。

たとえば俺自身、スポーツの類あらかた素人なので、フットボールのこととか何も知りません。
アメフトとラグビーの違いとか分かんないです。

似たようなので、「WindowsとiOSの違い」「パフェとサンデーの違い」「ポトフとミネストローネの違い」「ミキサーとフードプロセッサーの違い」「都市ガスとプロパンガスの違い」とか、まぁ、探せば区別しづらくて紛らわしいものなんていくらでもありますね。
特にガスの違いは区別できないと命すら危ないはずなんですが、それでも分からない人には分かりません。

なんで分かんないのかというと、もちろん素人だからです。
そんなとき玄人は「分からないなら調べればいいじゃない」と簡単に言いますが、でも素人は素人なので調べるところからまずできないことも多いです。
どこが分かんないかがまず分かんないといった系です。

アメフトとラグビーの違いが分からない人は、だいたい[アメフト ラグビー 違い]と検索すると思います。
で、アメフトとラグビーの相違点を解説したページはいっぱいあるので一応読むんですけど、なんか納得できないんですよね。
なぜかというと、アメフトとラグビーの違いが分からないという疑問を持つ人の多くは、別に具体的にどこがどう違うのかが知りたいのではなく、本当は見た目が同じなら一緒でいいはずなのに、なぜ別物扱いするのかが知りたいのであって、具体的なルールの違いとかぶっちゃけどうでもよかったりする人も多いからなんです。

でも、素人は素人なので、自分がそういうふうに感じていることを巧く言葉にはできません。
スポーツに詳しい方は、今度その質問を受けたらよく聞いててほしいのですが、質問が「アメフトとラグビーってどう違うの?」ではなく「アメフトとラグビーって何が違うの?」であるケースがけっこうあるはずです。
その場合本人は「区別する必要なんかあるの? 実は同じものなんじゃないの?」と聞いているわけです。

パソコンに詳しい人で「WindowsとiOSが違うものである必要があるの? 一緒でいいじゃん」と思う人はいないし、詳しい人ほど、まさか素人がそんなふうに思ってるとは考えません。
仮に分かってもそこまではさすがに答えられないことも多いです。
(ちなみに調べてみたところ、アメフトとラグビーはどちらもフットボールという同一のスポーツであり、アメリカルールを採用したものをアメフト、イギリスルールのものをラグビーと呼ぶそぉです。だったら「全然違う!」とか言い張るヤツはありゃいったいなんなんだっつーね。あとWindowsとiOSが違う製品なのは利権の問題です)

イラストスキルの場合、実はこの「なんでその2つ違うの? 一緒でいいじゃん」が非常に危険で、そこが区別できないと引っかかるトラップがわんさかあります。
違いが分からないどころか、「それぞれ違うもの」ということすら理解できなくて、そのせいで何年もスランプになってしまうなんてのも実はけっこうザラです。
概念的に言葉がちゃんと分離してなくて、もともと紛らわしいものだったりするケースもありますし。

というわけで今回は、そんな紛らわしいもののから、いくつかを説明します。
目次としてはこんな感じ。

1. 写生と模写とデッサン
2. デッサンとポージング
3. 「コマ割り」という言葉の本当の意味

1. 写生と模写とデッサン

まずはこれ。
別に区別できなくても実力アップ自体にはそんなに支障はないのですが、ただ言葉の意味をめぐって喧嘩になったり、そのせいでスランプ期に入る人もいます。
こまっかい意味の違いで言い争いとかした経験がある人もいると思います。
ぶっちゃけくっだらないです。

写生も模写もデッサンも
全部同じ意味だっつーの。

日本国内で使われだした時期の違いで、言葉がたまたま分かれてしまったのです。
現在では、「風景を描くことを写生」「完全コピーするところに重点をおいたものを模写」「専門のモデルさんを描くことをデッサン」と区別する人が多いですが、これも別に絶対ではありません

実をいうと俺も区別した方が便利だから上記の意味で区別してるんですが、とはいえみんなが同じ意味で使っているとはかぎりません
かつ、言い張る人ほど他人とは微妙に違う意味で使ってる傾向があります。
「それは模写じゃなくて写生だ」とか「ああ、デッサンじゃなくて模写ね」とか、わざわざ後輩に言い直してあげて、しかも意味の説明をスカッとかっ飛ばして後輩を悩ます先輩とかたまにいますけど、それ、カッコつけて恥かいてるだけですから! かっこわら!

写生と模写とデッサンは全て同じ行為を示す言葉ですが、同じ意味で使わなきゃいけないって決まりもないから、みんな自由に区別してるだけってわけです。

ちなみに、デッサンとクロッキーは明確に違います。(別にあえて言うことでもないかもですが)
クロッキーは日本語では「速写」といったり、または「粗描」といったりします。

デッサンとクロッキーは、絵を描くという着点には違いは特にないのですが、正確性に重点を置いた訓練を行うことをデッサン(または模写、写生)、スピードを重視する訓練の場合がクロッキー(速写、粗描)となります。

あとついでに、紛らわしい言葉で「スケッチ」もありますが、これは「デッサン」と「クロッキー」がフランス語であるのに対し、スケッチだけは英語で「風景を粗描すること」という意味の言葉です。
「写生 = スケッチ」と考える人も多く、俺自身もそう言ってはいるものの、厳密には実はちょっと違います。写生は呼んで字の如く「ありのままを写す」という意味ですが、スケッチはどちらかといえば「ざっくり描く」という意味だからです。
それから「粗描(そびょう)」と「素描(そびょう)」が同音異義語だったりとか、日本の芸術家の言葉下手は昔からだったってことなんでしょうかね。

2. デッサンとポージング

次はこれ。
さすがに言葉の意味を勘違いしてる人はいませんが(いないよね?)、ただ、デッサンができればキャラのポージングもできると勘違いしている人は一部います。

「今まで一生懸命デッサンやってきたのに、なぜかポーズが思いつかないんです!」って人は多いです。
で、そのまま挫折してしまう人もいたりするので、このあたりは早いうちに明確に違いを区別できた方がいいでしょう。

といっても、別に知識として知ってればいいだけのことなので難しいことはなんもありません。

特にポージングの分野は、ある特定の条件を満たす人だけを悩ませます。
美術部に部員が10人とかいたとすると、その中のごく何人かが「ポーズ」が巧く決められなくて悩むわけです。
でも他の大勢は(あまり)悩んだりしませんから、描けない人達がなぜ描けないのかが理解できない、ということもあります。

一般に多くの場合、インドア興味しかなく、かつオシャレに自信がない人はポージングができません。
正しくは「人が動いているのを見ること」に興味がない人ですね。
イラストを描くということ趣味自体がもともとインドアな趣味だし、当たり前ですが被写体は停止していた方が絵は描きやすいのです。
なので中には、「動くものを描く」ことに意識が向かない子もいるわけですね。
(オシャレに自信があれば大丈夫なのは、そういう人は自分が他人からどう見られているかを気にするからです。そういう人は普段の仕草などが自然と人から見られて恥ずかしくないものになるし、カッコいいポーズの研究を無意識にやるので、それが絵にも反映されるのです)

ポーズとは、人の動きの途中を止めて描いたものです。
ですから「人の動き」に興味のない子が人の動きを考えられないのは当たり前のことで、心当たりのある人は、「デッサン力とポーズを考える力は全然違うもの」と考えることがその第一歩になります。

これを解決するには、人の動きに興味を持つのが一番です。
何か好きなスポーツがあるなら積極的に見に行ってもいいし、舞台鑑賞でもミュージックビデオでも映画でもアニメでも構いません。
ただ、ストーリーや全体の流れを追いかけるだけでなく、あくまでも「体の動きに注視する」という意識を持つことが大事です。
オシャレに興味がなくはなく、ただ自信がないだけの人は、今まで以上に服装に凝ってみてもいいです。

そういう習慣が3~4ヶ月も続けば、徐々に「ポージングを考える」ことが身についてきます。

逆にいえば、人間の「体の動き」を日ごろから注視している人は、ポージングを比較的早く覚えるわけです。
「動いてる人」なんて、玄関から一歩外に出ればいくらでもいますからね。

それともちろん、解剖学の知識を修了していることは大前提です。
たとえ萌えキャラや3等身キャラなんかを描く場合であっても、「カッコよく描きたい」のなら筋肉の動きをキチンと把握できている必要があります。
なぜなら、解剖学の知識自体が、どちらかといえば「人間の体がどう動くのかを知る」ためのものだからです。

3. 「コマ割り」という言葉の本当の意味

最後。
ご存知、マンガを描くときに原稿のコマを分割する方法論のことです。
マンガ雑誌に相談コーナーを作ると、「コマ割りが分かりません」という質問が大量に届くのだそうです。

そりゃそだわ。
ほぼ大部分の初心者はコマ割りとは、コマを割ることだと思ってますからね。

ネットで「コマ割り」とかで検索してみると、本当にコマの割り方しか解説してないページが大量にヒットします。
これが口頭での質問であれば、たとえば後輩から「コマの割り方が分かりません」と聞かれて、「原稿に定規を充てて、四角になるようにペンを滑らせればいいよ!」と答える先輩は世界中探したって絶対いないと思うんですけど、Webだとそういう解説ページの方が圧倒的に多いわけです。

かといって、だったら簡単じゃんとか思って適当に引くと、「できてない!」と評価が返ってくるんです。
しかもプロが書いた教則本を読んでも、割と「感覚的なものなので経験を積んで覚えるしかない」とか書いてあるんですよね。
どないせーっちゅーんじゃwww

まぁ、そうはいってもね、上手に説明できないこと自体は別に犯罪ではないので、説明する側を責めてもしょうがないです。
とりわけ絵の巧い人は、絵で説明するスキルが極端に育っている分、文章や言葉で説明するのは逆に超絶下手クソな人の方が多いです。
それはそういうものなので、そこはもう「そういう世界だと分かってて飛び込んだんでしょ?」としか言いようがありません。

で。
一般にコマ割りと呼ばれる作業ですが、実際には以下の作業の総称のことをいいます。

1. 物語の内容から必要なコマの大きさを決定

ストーリーを、どうイラストにすれば読者に伝わるかを考え、思い起こしたイラストを頭の中でリストアップします。
で、その中で重要ゴマは大きく、逆に捨てゴマは小さくという観点で大きさを割り振ります。
(そのシーンの流れを文章1文で表現しようとしたとき、5W1Hに相当するものを説明するコマは大きく、それ以外を小さくするのが基本です)

2. 決定したコマを原稿用紙に配置できるかどうかを考察し、調整を繰り返す

ここまでは頭の中でやるしかないですかね……。
原稿面に巧く配置できそうにない場合、理由としては重要ゴマの数が多すぎる重要ゴマが少なすぎるやりたいことが膨らみすぎてテクニックが追い付いていないなど、様々な理由が考えられます。

3. 実際に線を引いてネームに落とす

4. 視線誘導の確認

失敗した場合は必要に応じて 1. ~ 3. からやり直します。

1つ1つの作業に知識や慣れが必要で、「コマ割り」などという小さな言葉に、よくもまぁこんな大きな意味を詰め込んだもだと思います。

とりわけ、コマ割り作業の中で一番難しいのが視線誘導の確認でしょうか。

マンガはいくつものイラストの連続で出来ており、かつ、コマの大きさにも統一性がありません。
つまり、コマの大きさや配置がバラバラであっても、読みやすくする工夫が必要なのです。

コマが不規則なのに視線誘導ができていないマンガって、本当に最初の1ページ目を見ただけでほぼ本能的に「なんか読みにくそう」って一発で分かりますからね。
人に見られたときに飛ばされてしまいがちになります。

具体的には、

A. 「マンガのコマは基本的に逆Zパターン配置である」という思い込みに従って目を動かしてしまう
B. 重要な情報重要でない情報が明確になっていると、多少描き込みが多くても「すっきりしている」と感じる
C. 目立つ物から順に目で追ってしまう

などの、人間がついやってしまいがちな習性を利用し、読者の視線を意図通りの方向に向けるように仕向けます。

A. の逆Zパターン配置は、多くの初心者が最初に使うテクニックだと思いますが、これだけだとなぜか読みやすくなりません。

ですので、コマの内容にメリハリをつけることが重要になります。
コマの種類を、たとえばですけど、ざっくり「決めゴマ」「重要ゴマ」「読み流しコマ」「捨てゴマ」の4種類くらいに分けて大きさや密度に差をつけ、どのコマがどれなのかが見れば分かるようにしてあげます。
各シーンの決めゴマは、誰でも自然に大きく強調すると思いますが、ページごとの重要ゴマもそういう工夫が必要というところまでは意識が回らないことが多いです。

また、とりわけ絵に自信がある人ほど「読み流しコマも捨てゴマも全て描き込みが多い」なんてことをやり、すごく読みにくく仕上げる傾向があります。

かつ、なるだけ目立つ要素がページ内でゆるやかなカーブを描くように並んでいるようにするのもコツです。
重要ゴマがあちこちに散在しているなど、読者に目の筋肉がつらいと思わせてはダメというか。
目立つコマは、目の筋肉を楽に動かせるよう、工夫して配置します。


さて――。

これはなんにでもいえることですが、「デッサンとポージングの違い」にしろ「コマ割り」にしろ、別に知らなかったからといって誰もがつまづくというわけでもありません。
初心者のうちは誰しも本当に右も左も分からないのが当たり前だったのが、やっていくうちに自分で何とかしてしまう子そうでない子に別れるということは、そこに何らかの「違い」があるということです。

その「違い」が、現実には家庭環境のせいだったりする世知辛い世の中ではありますが、だからといってレベルアップできないのを社会のせいにしていても話が先に進みません。
心構えとしては、引っかかったトラブルから脱出できないのは自分のせいと常々思うべきだし、そうでなければ厳しい競争社会では生き残っていけません。
自分が絵が描けない理由を「生まれつきのセンス」のせいにするとかホントもう最悪です。

ちょっとしたトラブルに引っかかってレベルアップが止まりがちな人は、そういうところが自分にないか、少し考えてみた方がいいでしょう。

見る人に理解してもらために必要なSWTD

自分が描いたイラストを人に評価してもらいたいと思っている人のうち、比較的多くの人が初期の段階でぶつかる壁の1つに「自分が表現したい」ものを、「どうやって見る人に理解してもらうか」が分からないという問題があります。
初心者のレベルをクリアして、これから中級者、というくらいの段階で引っかかる子が多いです。

当たり前ですが初心者というものは自分が描きたいものを描きたいように好きに描いているのであって、それは初心者として当然の権利です。
ですがそれを「他人が見ても分かりやすいかどうか」となると話が全く別になります。
なので当然、「どう描けば分かってもらえるのか」というテクニックは頭の中に蓄積していかなければいけないわけですが、そのことに関して最近、心理学研究で新しい成果があったみたいです。

人間が、目の前の状況というものをどのように認識しているか、という研究で、それを応用すれば効率的な構図設計ができるそうだったので、さっそく方法論を考えてみました。

1. 人が絵を見るとき、何を見ているのか

参照元をうっかり紛失してしまったのですが、人間の脳が「状況」というものを理解する際には、以下の4点を注視していることが分かったのだそうです。

1. どんな状況で (Situation)

2. 誰が (Who)

3. 何に (To)

4. 何をした (Do)

つまり、絵面的にこの4つがはっきりしていると、見た人が素早く理解できるということです。
これは「比較的多くの人が経験的に分かってくれる」という生易しいものではなく、脳の認識速度が物理的に速くなるというレベルの話です。

英語でいう5W1Hに近いですね。
近いけど、でもちょっと違います。
なのでここでは、上記4つの要素を合わせて「SWTD」と呼ぶことにします。
(5W1Hとの違いを明確にするために仮でSWTDという言葉を作っていますが、普段の作品制作では5W1Hで考えて問題ありません)

国語の先生が「いつ・どこで・誰が・何を・どうしたをはっきりさせなさい」とよく言いますが、これも一緒です。
要するに、人間が状況を理解しようとするときに、それらの要素を注視してるということなんです。
人があなたが描いた絵を見るときも一緒で、SWTDがはっきりしてるイラストは分かりやすいし、そうでないイラストは分かりにくいわけです。

考えてみれば、自分も含め、このへんをちゃんと明確に描けてるアマチュア絵師って、実はそんなに多くないんですよね。
特にアマチュアマンガ家が描いたネットマンガは「どんな状況で・何に」がほとんどなく、コマの大部分が「誰が・何をした」しか表現できてないというケースは非常に多いです。

2. どんな状況で

で、5W1Hでは「いつ(When)」「どこで(Where)」に該当するものですが、冒頭で述べた参照元の分からない最新研究によると、人間の脳はこの2つを「どのような状況で」という形でひとくくりにして認識しているのだそーです。

アニメで「夜の学校って、いつもと違う場所な気がするよね~」っていうお約束のセリフがありますよね。
これっていうのはつまり、人間の脳は「昼の」と「学校で」をひとくくりにし、「夜の」と「学校で」をひとくくりにするから、結果的に「昼の学校で」と「夜の学校で」はそれぞれ違うものとして認識されるということなわけです。

ですから理屈の上では、イラストには「いつ」と「どこで」が、どちらか片方だけ描かれていれば十分に分かりやすくはできるということになります。
(実際には、ストーリーイラストで「いつ」と「どこで」をどちらか片方しか描かないのはほぼ不可能ですが、ストーリー性がない絵の場合は片方ということもあります)

もちろん両方分かりやすいのが理想ですが、必要ないのに無理することはないということです。
ただ、両方あった方がいいのか、片方だけの方がむしろいいのかは見極めるようにした方がいいでしょう。

3. 何に

英語の5W1Hだと、この「何に」に相当するのは「How(どうした)」ですが、人間の脳はこういう認識の仕方はしないようです。
「状況の主体(Who)」が、「相対する対象(What)」に対して、どのような行為を行ったのかということの方を重要視するそうです。

つまり、たとえば「ラッシュ時間帯の駅ホームで、俺は立ち食いソバを食べた」という文章をイラストにする場合、従来の5W1H的な考え方だと「食べるという行為を行う」点を強調することになります。

「俺」「立ち食いソバ」「食べた」という要素が個別に存在していれば十分というわけです。
でも実際には、人間の脳は「俺」と「ソバ」がどのように結びついているかの方を重要視するというのですから、こうした方が「食べてる」感じがすることになります。

麺が見えないのに擬音語だけで「食べてる感」満載です。
たとえ麺がイラスト内に描かれていなくても、「食べてる最中の絵だから」という理由で食べてる感が増しているのです。

別の見方をすれば、イラストに迫力を出すためには、多少は現実的でない描写を使った方がいい場合もある、ということも表します。
俺は普段ソバを食べるのに「ズズズ…」なんて行儀の悪い音は出しませんし、そんなことする人も滅多にいません。
「ソバを食べるときは音が出て当たり前」と思ってる人もそう多くはないはずです。
でもそれでも、「ズズズ…」という擬音語を絵に入れてあった方が食べてる感が出るのは、「食べてる最中」であることを強調しているからです。

この考え方は、マンガの教則本にある「アクションは始まりでも終わりでもなく、その中間を描け」という考え方も補足します。
人間の脳が物事を5W1Hで認識するなら、「主人公」「悪党」「殴った」という事実自体が大事なので、アクションの開始点中間点終了点のいずれを描いても大した違いはないことになります。
それどころか、刑事の報告書のアップとかの方が、この3つの要素が全て表現されていて一番分かりやすいことになってしまいます。

もしマンガのコマが「A」だけだと、殴った結果どうなったかが分からないので、ストーリー的にもう1枚絵が必要な感じがします。
逆に「C」だけだと「なせそうなった」って感じです。
「主人公が悪党を殴った」というシチュエーションを1コマで表現できるのは、ここでは「B」だけというわけです。

4. マンガの絵作りを分かりやすくする

このサイトはいちおー超々初心者向けを謳っているので、実際に俺が勘違いしてた超頭悪いエピソードを紹介します。
同じ勘違いをしてる人がいるといけないからね。
まぁ、さすがにいないと思うけどサ…… (´・ω・`)ショボーン

かれこれもう30年くらい前ですかね。
小学校の先生から「5W1Hをはっきりさせなさい」と初めて教わったとき、俺、その先生のことこいつバカじゃねぇのって思ったんですよね。
なんでかってぇと、いつ・どこで・誰が・何を・どうしたという5要素を、一文一文全てに入れてったらキリがないからです。
そんな文章の作り方をする人、正直見たことありませんでしたしね。

えーと、イメージ伝わるかな? 要するに、

明治25年の小学校で、坊ちゃんは親譲の無鉄砲のため、で子供の時(具体的には明治15年ごろ)から損ばかりしていた。
明治11年頃に小学校に居た時分にも、坊ちゃんは学校の二階から飛び降りて、一週間ほど腰こしを抜ぬかした事がある。
いつでも、どこでも、誰でも、なぜそんな無闇むやみをしたと聞くかも知れない。
明治11年頃に小学校に居た坊ちゃんには、心に別段深い理由があるわけでもなかった。

こんな感じで、句読点が来るたびに5W1Hをいちいち全部書けと言われてるもんだと勘違いしたワケ。

まぁ、その先生はもともとちょっと考えなしな人だったので、「この人の言うことは基本的に眉唾だ」という思い込みもあったのかもしれません。
でも今はバカは自分だったと分かりますよ。
5要素が最終的に読者に伝わるように書けばよく、1文目ですでに表現している要素は、2文目以降では省略しなきゃいけなかったわけです。
当たり前だけどさ!!
小学生だったんだもん! しょうがないじゃん!(開き直りっ)

当たり前のことではあるものの、これと同じ種類の勘違いは、むしろマンガの方がしやすいのではと思います。
なんせマンガは全てのコマが絵でできてますからね。
「コマ割りが分からない」人の中には、一部、各コマに何を描けば分かりやすくなるのか分からないという人もいるはずなのです。
そういうの解説した教則本とかあんまありませんし。
(「コマ割りが分からない」という悩み自体、いくつかに分類できる根深い悩みですが、それについては次回、多少詳しい説明をします)

ようするに、マンガというのは数ページごとに「転換」があるので、それごとにSWTDの各要素を入れればいいのです。
ラノベでいえば「節」、映画では「シーン」と呼ばれる単位です。
(転換には「主体の切り替わり(カット)」と「場面自体の切り替わり(シーン)」の2種類がありますが、ここでは後者について話しています)

シーンの冒頭でロングショットを入れて、2コマ目で登場人物を描き、以降のコマはストーリーが進むことによって状況が変化した部分だけを描いていくというやり方が定番でしょうかね。
スリリングなシーンとかだと、シーン冒頭でアップショットが少し続いて、頃合いを見てネタ晴らし的なロングショットというケースも多いでしょう。

どちらにしても、シーン全体を総合するとSWTDが全て表現されている、という点が重要となります。
逆に、そのどれかが巧く描ききれなかったりすると、それが「伏線っぽさ」という形で読者の心に残ってしまい、回収しないといけなくなるわけです。

もちろんSWTDだけ完璧ならマンガが描けるわけじゃないですけど、シーン全体でのSWTDを先に決めると、以降の作業を行う際に精神的な余裕ができるのです。
(あと、「マンガはロングショットとアップショットのメリハリが重要」という話もありますが、シーン全体でSWTDがキレイに表現できていれば、ロングとアップのメリハリは自然につくから深く考えなくてよい、ということにもなりますね)

5. イラストの場合の構図設計の仕方

ペラ1枚で完結したイラストの場合も基本は同じです。
こと分かりやすさという観点では、ペラのイラストは「コマが1つしかないセリフなしマンガ」という考え方で画面設計すれば、絵をバチッとまとめることができます。
つまり、絵のテーマを1文にまとめたとき、修飾語を除いたSWTDの4つが重要な要素であり、それ以外は全て副次要素となると考えればいいのです。

初心者のうち、とりわけ構図を巧く作れない人は、「目立たせるべきもの」と「そうでないもの」の区別がついていないケースが圧倒的に多いです。
「俺のことは全部見てくれ!」と思ってるというか、むしろ自分がそういうふうに考えていることすら理解していない人も多いというか。

とりわけ要注意なのが、本来はあまり重要でないはずの要素を、初期のうちからイメージがあったからという理由で重要だと勘違いしてしまうことです。

俺自身が実際にやっちゃったミスなんですが、「パースの練習をするために近所の風景を描く」というコンセプトで描きはじめたはずのイラストに、いつの間にか「女の子」という主人公が登場して主役を食っちゃったことがあったんです。

このイラストは、実は主人公は背景の町並みの方なんです。
なんせパースの練習をするために描いた絵でしたからね。うちの近所に実在する風景です。
「くすりのハッピー太郎」の看板とか、自主的にヒットでした。

でも、「彼氏と放課後デート中の女の子」というイメージが制作の初期段階で浮かんできてしまい、そこを強調したために女の子も町並みも両方ともいまいちになってしまったのです。
女の子のイメージはほぼ最初からあったので、そこが重要だと勘違いしてしまったわけですね。
分かりやすさという観点では、「どうしても取り入れたい」という気持ちを制作者が持っているからといって、必ずしもそのアイデアが重要であるとはかぎりません。

たとえどんなに「面白い」と思ったアイデアであっても、邪魔であれば切り捨てることができるのが上級者、それができないのが初心者です。
(しかも放課後デートは学校帰りにさりげなくできるところが利点なのに、女の子ががっつりムード作りにいってて表情がエロいし。友達に見られたらどうする気だったのかな、この子)

そんなとき、いったんSWTDの文章にまとめてみると、何を描くべきで何は描かないべきなのかがはっきりします。
上記の例の場合は、
A.街中で、夕日が暮れなずんでいるところ(S「街中の夕方」W「夕日が」T「町の風景に」D「暮れなずんでいる」)
B.女の子が彼氏と放課後デート中(S「放課後に」W「女の子が」T「彼氏と」D「デート中」)
こんな感じでどっちか選べばよかったんです。

A.の場合はもっと「空」の部分を大写しにして、女の子は完全逆光にするなど、あくまで背景の一部として描かれているべきでした。
もしくはB.なら、女の子の主人公性をもっとはっきりさせて、背景は「夕日の綺麗な街」と分かる程度に留めるとかとか。
(まぁ、もともとパースの練習だったわけだから、もし今からやり直すならA.ですね。右手前の中華屋をもっと大写しにして、女の子はその建物の影のあたりでこっちに手を振ってる、くらいに留めておけば、こんなに違和感全開の絵にはならずにすんだのではと思います)

まとめると、

1. テーマを決める

2. シチュエーションを文章にまとめる

3. 作った文章から「どんな状況で(S)」「誰が(W)」「何に(T)」「何をした(D)」の4要素をまず抜き出す

4. 重要要素だけを使ってまず構図を決定

5. 重要でないその他の要素をどのように配置するかを決定

6. ラフを何枚か描いてイメージの確認

こんな感じですかね。

こういったことも、SWTDの原則を考えることに慣れておけば、比較的簡単に頭の中でまとまるというわけです。


イラストにかぎらず何でもそうですが、「分かりやすい」とはすなわち、「見てくれる人に、なるだけ脳みそを使わせない」ということでもあります。
つまり、直感的に理解できること、です。

そのために必要なことの1つが「SWTDをはっきりさせること」と言えるでしょう。

自分のレベルを把握するということ

イラスト関連の会話で非常に多いのが、「何才くらいの絵に見えますか?」と質問している人です。
とりわけ中学生以下の絵師さんで、まだ初心者の域を脱していない人は、これを非常に気にする傾向があります。

とはいえ、たとえばヤフー知恵袋でこの質問をすると、だいたい無視されます。
運が良ければ「答えられません」という答えが返ってくることはありますが、律儀に「何才くらいに見えます」と答えているのは、だいたい回答者も小中学生の場合です。
高校生以上の絵師は、こういう質問に取り合う人は(そんなには)多くありません。

なんでかというと、イラストスキルは経験を積めば積むほど「年齢は関係ない」ことが分かってくるからです。
小学生なのにデッサン超完璧な子もいれば、もう大学生なのにぐっちゃんぐっちゃんという人もいます。
ですから、絵の上手下手を判断するのに年齢を指標にすることはできないのです。

ただ、だからといって「人のことなんか気にするな」と考えるのは間違いです。
イラストというのは本質的に「人に見てもらうために描く」ものなので、人目を気にするのはとても重要です。
人目を気にするというか、作品が人からどう見えるかを気にするという意味ですね。

もちろん批判などされたくないし、批判されることに慣れたくもないというのなら、それはそれで1つの「道」ではあって、そういう人はそうすればいいです。
アマチュアとして、楽しく描くことさえ忘れなければ、問題は特にないです。

ただ、批判が怖いし、批判されたら描けなくなるという人は、プロの道はあきらめていただくしかありません。
普通はみんな上級・プロ級になって人に認められたいと思っているわけで、だったら作品の評価を気にするのは当然のことです。

なので、「自分の絵は何才くらいが描いたように見えますか?」と質問する子は、本当はとっても将来有望なんです。
若いうちから自分の作品の評価を気にしてるってことですからね。
(まぁ、そういう子は言わなくてもコツコツがんばるので、普段は「あなた有望です」とか言わないんですけどね)

単にその指標が年齢であるところに問題があるだけです。
というわけで今回は、年齢が使えないなら何を指標にすべきなの? というお話。

1. 絵師にとっての5つの指標

もちろん、芸術の世界には、常識では計り知れないギリギリアウト感を過積載したような人もいて、そういう人が案外大成することもあったりはするものの、ぶっちゃけ滅多にいません。
最近はキュビズムとかダダみたいな指標の作りづらい芸術が高く評価されることもなくなってきたことだし、個人的に知る範囲では今の若い子でそういう方向性を指してる子もそんなにいません。(プロを目指すわけじゃないけど楽しいから一生懸命、という系統の子の中にたまにいる感じですかね)

ですのでここでは、ゲーム・マスメディア・広告などで利用される、いわゆる「商業イラスト」と呼ばれるジャンルを基準とします。
通常はこの考え方で、ほぼだいたいの初心者をカバーできるはずです。

他のコラムでも何度となくポロッと話題に出してはいるのですが、絵師の上手下手はどうやら「デッサン」「色彩」「ディテール」「デザイン」「テーマ」の5つの指標で計れるようだ、というのが個人的な見解です。
まぁ、その観点が絶対ではないんですけど、みんなが欲しがる魅力的な商業イラストが描ける状態を至上とする指標の元では、一般に多くの人が魅力を感じるポイントがこの5つということです。
これを分かりやすい呼び方に変えたものが下記の一覧になります。

1. 正確な描画力

いわゆる「デッサンが狂ってる」と呼ばれる状態を極限まで抑え、正しく見える絵を描く能力のことです。
または、ポーズを力学的に正しく描く能力も含まれます。
一般に初心者絵師は、上手下手をこの能力だけで推しはかる傾向があります。
 
正確な描画力には、サブスキルとして「美しい線を描く力」「立体感覚」「人間や動物の解剖学(または機械の構造)を理解する力」「重心やSカーブを意識する力」「パース」などがあります。
それら全てがワンセットになって、初めて「正確な描画ができる」という感じでしょうか。
 
ただし、同じ「正確な描画力」スキルでも、それらが全て完璧じゃないといけないかというとそうではなく、あらゆるプロに共通して求められるのは「美しい線を描く力」だけです。
それ以外は、もちろん全て完璧であるに越したことはないものの、だからといって「完璧な絵しか描けない」というのも逆に問題で、そういう人は商業的には「扱いづらい絵柄」と受け取られる傾向が強くなります。
なので得意分野が明確であるとか、全体のバランスがとれているとか、仕事に合わせて作風を変えられるとか、そういう絵師としてのアイデンティティが確立できていればOKっぽいです。

2. 色彩感覚

色をちゃんと扱う能力は、実は突き詰めれば「5. 表現力」の一部だったりするんですけど、ここではあえて別枠としています。
多くの人は「表現したいものを表現すること」と「色が美しいこと」を分けて考える傾向があるからです。
 
色彩感覚のサブスキルには、「よいカラー計画を考案する力」「塗りの際に正しい色を選択する力」「複数の塗り技術を、状況に合わせて正しく使い分ける力」などがあります。
(一部「色彩感覚は網膜の体質だけで決まり、後天的な訓練はできない」と勘違いしている人がいますが、ごく普通に間違いです。カラー計画の立て方の手順や、テーマに即した色の選び方なんてのは網膜は教えてくれません)

3. 精神力

これは要するに読んで字のごとくですね。
後天的には鍛えられないと考えている人も多いので、あえてリストアップしてあります。
もちろん、がんばって鍛えれば鍛えられる能力です。
 
サブスキルは「ディテールの細かいとこを仕上げるていねいさ」「最後まで作品を作り上げる我慢強さ」「完成までのスケジュールを立てる力」の3つです。
 
精神力の本質が大部分は「体力」だと思ってる人もいますが、これも間違いです。
体力ももちろん大事ですけど、それよりは「自身の行動の必要性を正しく認識し、自分を律する能力」の方が重要で、この能力をよく鍛えている人は、より少ない体力で作品制作ができます。
イラストに限らず、一般にスキルを覚えるとは、すなわち「そのスキルを行使する上で重要なポイントを習得する」ことに等しく、何が大事で何は大事でないかを分かってる人は、無駄な作業に無駄に体力を消費しなくていいからです。
(まぁ、根本的に絶対的な体力量が物理的に少ないのもそれはそれで問題ですから、そういう人は絵を描くのにまずジョギングが必要、なんてことになるのかもしれませんが)

4. デザイン力

そもそもデザイン能力は、イラストを描く能力とは全然別の無関係なスキルで、絵が描けるからデザインもできるかというと、そんなことは絶対ありませんよね。
「ギターが弾ける人は作曲もできるはず」なんて思う人はいません。
 
とはいえ一般に日本の商業イラスト業界では、絵師にデザイン力を求めるのが一般的であり、会社によっては絵師のことをそもそも「デザイナー」と呼んだりします。
なんで絵師はデザインもできて当然というイメージがあるんでしょうかね……?
 
この、なんでもかんでも特定の人に押しつけちゃう日本の商習慣って、もうホント何とかなんねぇの馬鹿じゃねぇのって感じなんですけど、でもまぁ俺も含めて「デザインもできたらやりたい」と思っている絵師は多いのでリストアップしてあります。
絵師にとってデザインスキルは必須スキルではありませんが、できないよりはできた方が絶対いい、という類のものです。

5. 表現力

これは非常に意味の広い言葉です。
サブスキルは「テーマを考案する力」「設定やシナリオを考える力」「演出テクニック」「ポーズを考える力」「構図設計」などなど、数限りなく無数にあります。
 
それを全部ひとくくりにしちゃうのはどうかと思ったんですが、要するに「伝えたいことを正しく伝える力」と考えれば、1つの能力といえるのかなと思います。

自分の絵を客観的に評価する場合、手近な人達と自分の実力差がどれくらいあるかを、上記のような観点で比較すればいいわけです。

ちなみに当サイトの多くのコラムでは、上記の 1. ~ 5. の能力が、どれか1つ以上プロとして何とかやっていけるレベルに達している状態を「上級」と定義しています。
なので、「デッサンはプロ並みだけど他は初心者」なんて状態もありえます。
また、1. ~ 5. の能力全てが上級に達している状態が「プロ級」です。
(実際には1つくらい不得手があってもプロにはなれますケドね)

ただ、俺が「初級」「中級」「上級」と呼んでいる状態は一般に多くのプロの人達にしてみれば全て「初心者」であり、俺がプロ級と呼ぶ状態になって初めて「なんとか使い物になるレベル」なんだそうですよ。
当然かもしれないけど世の中キビシー!!!

2. チャート図で自分を客観視してみよう

初心者の中には、自分が今どれくらいの段階なのか知りたいという人も多いと思います。
そういう人は、どうでしょうね。
こういうの作ればいいんじゃないでしょうか。

「プロデビューする前に当然習得すべきスキル」を全て習得し終えている状態が
「周囲のアマチュアと比べてそう大差ない」くらいが
「最近取りかかり始めたばっかり」の状態がになります。
完全に未経験だったらです。

直近1~2ヶ月以内に描いたイラストのうち、一番出来がよかったものについて評価を行います。。
色が塗れる人はカラーのもの、さらに背景が描ける人は背景つきのもの、デザインもできる人はキャラクターがオリジナルのものです。

で、自分で描いたものを適当に用意し、「これは自分が描いたものではない。友達が描いたものだ」と言い聞かせながら、チャート図に数値を入れていきます。
自分で自分のために作るものですから、数値はフィーリングで決めてしまって構いません。
見栄を張る必要も、謙遜する必要もありませんし、自分に嘘をつくのは絶対にダメです。

「プロとしてギリやっていけるか」という観点で、「まぁなんとかなるやろ」と思うなら自己判断で5を付けてしまってもいいです。
2や4がどんな状態かという決まりも特に作っていませんし、「周囲のアマチュア」なる人達がどれくらいのレベルを指すのかも特に決まりはありません。

ただ唯一、「5でないのなら、自分に足りないものは何?」ということを考える必要はあります。
「まだ足りないものがある」と思うからこそ、自分の意志で4以下を選んだのです。
そのためのチャート図ですからね。
全5要素について、自分に足りないもののリストを作っていきましょう。

とはいえ1や2の状態の人は、自分に足りないものの心当たりがありすぎて、逆に何を挙げたらいいか分からなかったりするかもしれません。
そういうときは、「少なくともこれは今の自分にはないよね」というスキルが1つでも思いつけばOKです。
本当にヤバいくらいマジで何にも浮かばなければ、(本当は自分で思いつくのがいいんですけど)先生や先輩に相談して挙げてもらっても構いません。

3. 自分に足りないものを持ってる人を数えてみる

チャート図が完成し、今の自分に足りないものをリストアップしたことで、自分の実力がはっきりしました。
でも「何才くらいの絵に見えますか?」という質問は、本当は「世間一般全体と比べて、自分はどれくらいのレベルなのか」ということを知りたいのではないでしょうか。

ぶっちゃけそんなの分かるわけないし、仮に分かったとしても絶望しかないとは思いますが、とはいえ手の届く範囲で推測することはできます。
「今の自分にないもの」のリストはすでに手元にあるのですから、それが出来ている人の数をpixivやツイッターのフォロワーなどで数えればいいのです。
なるだけ身近な人がいいのではと思います。

その割合が2人に1人よりも少なければ、そのスキルについて平均以上の実力があることになります。
逆に多ければ、スキルはまだ平均よりも低いのです。
で、平均以上のスキルの数が平均未満のスキルよりも多ければ今のあなたは平均以上だし、逆なら平均以下ということになります。

まぁ、さすがにそこまで厳密に計算なんかやんない方がいいと思うんですけどね。
嫌になるだけだし。

でも自分にないものを持ってる人を数えることには意味があって、つまり数える過程でチェックした人が直近、今のあなたの先生なんです。
その人達からしっかり技術を盗んで、あわよくば超えていきましょう。

「自分のレベルを把握する」とは、つまり効率的に人から技術を盗むためにやることだからです。